2013/08/06
つまのこと
かつてぼくにはつまがいた。
そのひとはとても強がりでまけずぎらいで頑固で、だけどとても臆病で、ひといちばい繊細で、葦草のように弱かった。プライドも高くって、いつも無茶な背伸びをしようとした。ぼくはいつも、無理するなよというのだが、すでに仕事などの方面で無理して背伸びをするからこそ手にできる成果をいくつも持っていた。だからつまは地に足がついていた。かたやぼくはふわふわ生きていて、しばしば強く諭されたものだった。
でも思う、その生き方はつらかったろうと。ぼくはつまから、つよさとはよわさから生まれるものだとおしえられた気がする。
つまにはとても友人がおおかった。
10歳以上先輩もいれば、社会に出たばかりの若芽のような人もいた。みんながみんな、つまに話を聞いてもらいに家にやってきたので、ぼくもだいたいのひとの顔をおぼえた。友人たちはみな、人目をはばからず涙をながしたり、怒ったり、笑ったり。それらすべての忙しい感情を、つまは友人たちとともに分け合い、慰めあった。友人たちが帰っていくと、家は静かになった。そういうときはいつも、つまはなんだか疲れてカーペットの上に横たわり、そのまま堕ちるように眠りについた。ぼくは毛布を掛けてやりながら、つまは友人の業を肩代わりして疲れたんだなと思った。つまはぼくの友人にはほとんど会うことはなかった。そのことは正直少し残念だったけど、これ以上他人の業に疲れさせたくはなかったし、ぼくの友人の業は、ぼくが引き受けるべきだろうし。
得手不得手で言ったら、つまはつまであることに不得手だったかもしれない。
ただ、つまであろうとすることにかけてはものすごくストイックで、いつもながらぼくは無理するなよと言っていたのだが、もちろんそれを鵜呑みにし、はいはいと聞くような人ではなかった。結局無理をして無茶をして、ぼくが感謝できる理解の範疇を大きく超えて、意は天を貫かず(夫という字は天を突き抜けている)、むすっとする。で、しばらくすると、むすっとした自分に自己嫌悪する。
ぼくとしては、結果如何に関わらず、がんばる横顔だけで合格だったんだけど。
つまはなんだかんだいって普通の女の子だった。
おしゃれだったし、アクセサリも服もいっぱい持っていたし、おいしいものに興味があったし、休みの日にどこかに行くことを考えるのが好きだったし、かっこいい男性が好みだったし、親を大事にしたし。ぼく自身はいい加減な人間なので、こういったつまの見識に叶う点は我が身にひとつも見当たらない気がするのだけど、それでもつまはつまになってくれた。なんでだろう。
とにかく、つまは普通の女の子だった。
つまには生きるということを教えてもらった。
人の世は生老病死というけれど、ほんとうにつらいのは愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦、つまり、十全に生きながら味わうものこそ苦しみであると教えてもらった。死そのものは何も生まないし何も奪わない。ただし見えないところで、つまりその状況に立ち会う人々のココロの中で、数値のあらわれぬ取引が確実に行われる。現実は確かに無慈悲な収支を宣告するけれど、だけど必ず帳尻は合うようにできている。あまりにも若かった、と、人は言う。でも命は長さではない。濃さだ。濃いから短くとも帳尻があうのだ。ただそれを字面では分かっても心から理解できない人たちは、その短さだけをつかまえて悲嘆する。それは仕方がないと思う。だれもがそう賢くはなれないし、なる必要もない。それにどうがんばったって当事者じゃないと分かりっこない。知っている人が知っていればいい、そういう種類の智慧もあるのだ。
そういったことなどを、つまは身をもって教えてくれた。教えようと思って教えたわけじゃないだろうけれど、なにもそこまで無茶をして教えることはなかったろうと、今もって、思う。
ぼくがつまについて書くのは、これを最初で最後にする。
ぼくはいま、生きている。
生きて呼吸をして、今という時間を感じて。
人が生きて感じられることは、それ以上もそれ以下もない。
だからもう振り返るまい。そういうわけで最初で最後だ。
これからは、自分が自分らしく生きていくために、新たな徳を育み、よろこびを感じていく。
それだけだ。
2013/05/12
柳亭市馬独演会に行ってきた。
みなみホールです。
南日本新聞社が定期的におこなっているシリーズの何回目かが「柳亭市馬」師匠の独演会だったというわけです。
あそこに車で行こうと思うと、立体駐車場が狭くて暗くて、もう・・・。
ぎりぎり5分前につきました。
やっぱりじいちゃんばあちゃんばっかりだった。とはいえ、桂文枝公演・柳家花緑独演会の時よりは、若干若い人もいたような・・・今回はそれらよりもコアな落語会のような雰囲気ではあったのだが。
とはいえ、イベント自体5分遅れてスタート。
前座さんがでてきた。「柳亭市助」という30なってるかなってないかの人。
「たらちね」を演った。覚えることの多い前座咄ではあるが、多少の演技性を求められる内容で、とはいっても極端な人間像の表現だから、「金明竹」や「寿限無」よりはやりやすいのではないかなと。
福福とした顔でよどみなく滑舌よく喋るのだが、残念なことに言葉が言葉でしかなかった。彼の師匠の師匠は先代小さんだと思うのだが、彼はしばしば言っていた「たぬきを演るときはたぬきの了見にならなきゃだめだ」と。肝心なそれが全然でしたな。絵が見えたのは一箇所だけ。お嫁さんと八公のやりとりの中に一瞬だけいいところがあった。
15分くらい。
その後、市馬師匠の登場。黒羽織。「武士絡みだな」と。
御挨拶のち、師匠小さんの園遊会での話(昭和天皇とのやりとりはエピソードとして秀逸)や与太郎校長の話(これは定番だ)、そのあと本題の枕、酒の話。
落語に酒の話は多い。その枕は定番の都々逸「酒呑みは 奴豆腐に さも似たり 始め四角で 後はグズグズ」から始まって、上戸百態、知らずに親子、ここまで聞いてもまだ本題はわからない。市馬師匠も同様だったが、まさか「禁酒番屋」にいくとは思わなかった。すっかり「居酒屋」「一人酒盛り」あるいは「親子酒」「試し酒」かと。もっとも全身黒衣装だったから、どれもあてはまらないわけだ。
「禁酒番屋」といえば十代桂文治が思い起こされる。しかし話の内容から考えると、どうしても桂や林家の根多というより柳家の根多という感はある。
さて、市馬師匠、さすがこれからの江戸落語を牽引する貫禄十分。文句無し。
酔った雰囲気は柳家小三治にそっくりだった。
約35分。
仲入り挟んで再び市馬師匠。こんどは茶絣の羽織に薄青縦縞。なんとも粋な装い。
縁起の良い大根多「御神酒徳利」。
前半は三代古今亭志ん朝を彷彿とさせるテンポの良さ。全体のテキストは六代三遊亭圓生がベースになっている。それをほとんどいじることなく、むしろ多少そぎおとし、柳家一門らしいコンパクトさを醸していた。
45分くらい。
一箇所だけ、とちったなぁ。
稲荷大明神が「当家は大家である。四二番目の柱を三尺五寸掘り下げよ。さすれば一尺二寸の観世音が現れる」と言ったのに、「一尺二寸掘り下げますと観世音が・・・」と。あああ。
下げが圓生のそれと違っていた。市馬師匠のは、大阪から東海道、江戸までの道のりを七五調テンポで歌い上げ、終いは「それは稲荷大明神のおかげ」「なんの、嬶大明神のおかげ」というものだった。一方、この咄をかつて御前で演った圓生の下げ方は「家計は桁違いに良くなった。それもそのはず、そろばん占いでございます」。
咄全体を絡めた下げという意味では圓生の方が数段秀逸に思えるが、同行した落語仲間によると「商売や金の話で下げずに家族のことでまとめた市馬の方が優しくてよい」とのこと。そういう考え方もあるけれど、個人的には咄の全体の美を考えたとき、圓生の下げの方がすっきりする。
古典落語の下げの変更で成功した人間は、知る限り立川談志しかいないように思われる(とくに「居残り佐平次」)。江戸時代の社会や思想への造形が深く、高座と客席の間の空気を一席の内に感得できる落語家でなければ、かなり危険なアクションだと思う。だから市馬師匠の下げは、ふつうの聞き手には満足かもしれないが、すこし聞きかじっている人には煮え切らなさが残ったかもしれない。
いずれにせよ、柳亭市馬師匠。大貫禄だった。
この人こそ、今後の落語をひっぱっていく人だと確信した。
2013/01/27
柳家花緑独演会に行ってきた
柳家花緑…実はあんまりよく知らない咄家なのだが、チケットをさる関係筋に入手していただいたので行ってみた。場所はみなみホール。鹿児島の主力新聞・南日本新聞の社屋の4階にあるホールだ。めいいっぱい入っても400人前後。キャパ的に寄席に近いのじゃなかろうか? ちょっと後ろのセンターあたりに席をとっていただいた。ほとんど真正面。ある意味一番いい席だったと思う。隣席には懇意にしていただいている行きつけのお店のママ。鹿児島には数少ない落語通で、何かあったら物が言い合える。これ以上無いといってもいいくらいのシチュエーション。
どうも若手落語家というのは、先入観から引いてしまう。新作創作落語の一辺倒ではなかろうか、甲高い声で聞いていて疲れてしまうのではなかろうか…。とはいえ、花緑師匠は人間国宝五代目小さんの孫というサラブレッド。そしてさらに戦後最年少真打。期待しない気持ちと期待が持てる気持ちが相半ばし、なんともいえない緊張感があった。
15:30開演。前座は七番弟子の柳家緑太という人。相当若いと思う。古典の「やかん」を演った。花緑のコピーのような風貌・雰囲気で、本筋の下げまではやらぬものの、講談シーンもしっかりぶつけ、非常によくできていた。講談部分の見台見立ては膝上ではなく、談志のように床板でやったらよかったのじゃなかろうか。とにかく驚いたのは、前座にも関わらず大ネタをぶつけてきたところだ。18分。
それが済んだら花緑の登場。
本人としても、小さんの話に触れないわけにはいかないようで、まずは祖父の話。けれども、それをあまり大げさにはせず、少し長めの枕でたっぷりあたためて、一気にマイナー古典「鶴」、そのまま話を続けてひきつづき「夢金」。「鶴」は前座と話が突いている感が否めなく、聞いていて少し疲れたが、「夢金」はなかなか良かった。それにしても1時間しゃべりっぱなしでなんという体力かと。ここまで新作創作なしで、落語好きには堪らない流れ。
仲入り後、再び花緑が登場。出囃子は木賊刈で「すわ立川流?」。ネタは祖父小さんも演っていた、左甚五郎「竹の水仙」。仲入り前に古典ばかりだったので、最後は新作創作かと思っていただけに、これは個人的に喝采の展開。アクションを大きくして若さを発散するあたりは祖父との比較を乖離させるが、これはこれで非常に面白く、もしかしたら祖父の同題より笑ったかもしれない。約50分の口演。
ふりかえってみると、花緑師匠、結構マイナーなネタをやってくれたなと。鹿児島は8回目ということで、ネタ選びも大変だろう。私は初めて行ったものの、客の幾許かは本寄席の常連と化しているわけで、そういう人にはメジャーな話ではもう物足りないかもしれないという配慮があったのだろう。そう言う意味で良いチョイスだったと思うが、個人的には「厩火事」とかも聞いてみたいなと思う。そういうふうに思えたということは、聞いて良かったという感想の裏返しか。
終わってから行きつけ店のママと、お店の常連の若い男性を一人呼び出して屋台村に。鹿児島には屋台村ってのがあるんですよ。ふるさと屋台村ってのが。飲んだ飲んだ。振り返ると先週の火曜あたりから毎晩かなり飲んでるなあ。
そんなわけで、今もこのブログをほとんど酩酊状態で書いている。別に面白いエッセーにしようとは思ってないよ。日記だ日記。どうぞ勘弁。
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