2015/12/18

池袋演芸場に行ってきた。

縁あって、池袋演芸場を訪れた。
ついに定席四寄席制覇である。
行きたいと思っても十数年叶えられなかったことが、ほんの半年で達成できた。
人生、何でも終わればあっけないものである。

さて、今回も毎度のように事前に番組をチェックしてから望んだ。
正直に言おう。
「また芸協かよ」
そう思った。

だがしかし、そんな物言いをしたことを、今回ばかりはお詫びして撤回せねばならない。
非常に素晴らしい熱演が並んだ。
すごいなあ!やればできるじゃないか!
因みにこの日は講談のトリ席だった。落語家たちは、講談に失礼のないよう、あるいは講談に負けないよう芸に熱がこもったのかもしれない。

   *

駅から近くても、駅自体が迷宮じみてる
池袋演芸場は池袋駅西口から歩いて三分。
他のところは最寄り駅から寄席まで結構歩かされるので、寄席に着いてもまだ息が上がっているからなかなかホールに入れないが、ここはそんな心配はない。

ただ、池袋という場所自体が面倒だ。

表でチケットを買って、会場へ。
ホールは地下二階。暗く湿った階段を降りていく。フロントでチケットをもぎってもらい会場の扉を開くと、意外に明るくてきれいなことに驚く。古臭さは微塵もない。

だが狭い。

客席は100席無い。
しかもそれが横に広がっているため、高座との距離が非常に近い。半分以上の芸人がマイクロフォンを使っていなかったと思う。
この近さが、他の寄席に無いライブ感を醸す。
演芸場でもそれを十分理解しているようで、この寄席だけ他の席よりひと番組あたりの時間が長い。通常一時間に4つだが、ここでは3つくらい。
だから芸人は演る気まんまん、客も聞く気まんまんだ。ある意味コアなファンの巣窟である。

私が池袋演芸場に入ったのは、3時をちょっと回った頃だった。
もちろん昼席。
客席は、まばら。老人オンリー。

高座はすでに膝前で、桂小文治が飄々と幇間を演じていた。御座敷での虱の噺。語りより仕草の面白さ。幇間の口調が八代目桂文楽のそれだ。場内の空気が華やいだ。

膝替わりはやなぎ南玉師。曲独楽。こないだ浅草で観たばっかりだったが、やはり安定感があるなぁ。
それにしても、曲芸とか大神楽ってのは、場内がキュッと締まる。前が華やかだっただけに。こうなると、トリは演りやすかろう。寄席の番組構成の旨さである。

昼席トリは柳家蝠丸。痩せてほっそりしている。白髪で短髪。後で調べたら170センチで40キロ代だとか……大丈夫かよ。「暗くてイヤな話をします」と前置きして演ったのは「鼠穴」。語り口は端正で、ナカ高の風貌も含めて三代桂三木助を彷彿とさせる。だが……やはり難しい。火事のシーンで、目に炎が見えない。セリフにもリアリティがない。
オチは、兄貴を悪く言う夢を見て、穴があったら入りたい→なんの(ねずみ)穴があったから見た夢じゃないか。これは初めて聞いた。「土蔵の疲れ」よりは現代的でいいかも。

<夜席>

池袋演芸場は昼夜入れ替え無し。さっきまでガラガラだったのに、新たに流れ込んで、はじめから8割くらいの席が埋まった。相も変わらずお年寄りがもりだくさん。その多くが、トリの講談師・神田紅の熱心なファン。講談って、人気あるんだね。

開口一番は三遊亭遊かり。前座さん。番組表に名前が無い。ネタは金の大黒。ソツは無いけど、なんなのだろう……演るのでいっぱいなのか、あるいは?

お次、講談・神田蘭。創作講談。信長の年増好き・きつのという姫の話。生の講談は初めて聞いた。落語より語りに特化していて、キレが良い。見せどころがしっかりしていてよかった。もっと後の出演でも良かったのでは、と思った。

お次は色物、マジックジェミーは手妻(手品)。赤髪・サングラス・ヒョウ柄・英語。何から何まで濃い。客を入れての手品もあり、かなり盛り上がった。講談と落語の間に挟まるのはどんな気分か分からないが、とにかく空気がガラリと変わった。

客というものは、多く笑わせるとちょっと疲れる。疲れさせたところを軽い噺ですっと慣らすと、またちょっと聞けるようになる。
お次の柳亭芝楽はその任をうまくこなした。ネタは権助魚。陽気で楽しい高座。おつむりの具合と陽気さに、桂枝雀を思い出す。

お次、桂米多朗。蝦蟇の油。こういうのは噛んじゃダメなのは当然のこと、途中でちょっとひっかかるだけでもいけない。客と高座の距離が近いだけに、小さなほころびが凄く目立つ。池袋は怖いところだ。むしろ講談師の蝦蟇の油の口上が聞きたかった。あとは赤い着物だったことくらいしか記憶にない。

コント・チャーリーカンパニー。先生と親父の、先月浅草で観たのと同じネタ。やっぱりおもしろい。二度見て改めて気づく。細かいことまでガッチリ計算されている。さすがプロ。

お次は山遊亭金太郎。我慢灸。枕は我慢灸のお決まり「湯のがまん」で、基本のテキストは志ん生のようだ。オーバーアクションがGood。熱さを堪える表情も迫真。まさに好演である。 

中トリは古今亭壽輔。十分な客いじりで前の熱演をいなしてから、創作落語に入る。
上司に誘われる新婚の部下が妻・桃子をのろける話。
ギリギリまで間を持たせて客の耳目と期待を惹きつける力、客席の空気の察知力、噺の器用さ……天才的に勘がいい。前回の浅草でも思ったが、寄席を廻せる芸人としての力量は現在の第一人者なのではなかろうか。だからこそ、夜の中トリが務まる。

<中入り>
喫煙室は客も芸人も一緒くた。だが芸人は媚びないし、客もミーハーに騒ぎ立てない。良い距離が自然に保てる関係。地下寄席ながら、近寄せない。

食いつきは三遊亭遊雀。ネタは浮世床。噺のテンポも演技も抜群に良い。昼席といい、中入り前の金太郎・壽輔といい、今夜のラインナップは素晴らしい。芸協へのこれまでの罵詈雑言を猛反省した。夢のシーンは若干八人芸のようにも聞こえたが、劇中劇だから良いかと。タレント性もある人だと思う。

膝前は三遊亭圓馬。最初は漫談で、その後時そば。ベターにこなす。遊雀が大いに盛り上げて、後に東京ボーイズが控えるという「難しどころ」としては、ちょうど良かったのかも。若干長めにやっていた気がする。

膝替わりは東京ボーイズ。ウクレレと三味線のコンビ漫談。大ベテランだ。最初、二人だったっけ?と思った(註:やはり2007年に一人亡くなってる)。間の上手さが神がかっている。拝めてよかった。

主任は講談師、神田紅。忠臣蔵の後日談。おいしと母堂がいしの実家で四十七士の討入を知らされるシーン。力強く語られる討入の模様が迫真。最後に寄席の小踊りを見せて下がる。講談はあまり詳しくないが、落語には無いキレがあり、聴きごたえはあった。
最後の踊り。落語家の座興は周知だが、講談師が踊るのは初見だった。鼻に突かないさらりとした舞いで、見ていて心地が良かった。講談の内容がヘビーだっただけに、終演(はね)た後の客の足取りを軽くした。

   *

そんなわけで、終わったのは8時半。昼席から夜席のトリまでブチ抜き。
五時間半だ。さすがに疲れたよ。

次、行くのなら、国立演芸場だな。
だが、こんなに上京する機会も、そろそろ終焉のような気もする……。

2015/11/20

浅草演芸ホールに行ってきた。

良い機会に恵まれて、四定席の一つ、浅草演芸ホールを観覧してきました。

東京定席巡りも三席目。シリーズも佳境に入り、私はおのぼりさんの分際で「にわか江戸っ子」を決め込み、「大人一人、くんねぇ」と、浅草の地に足を踏み入れたのであります。

今回は旅程の都合上、浅草にしか行けなかった。
相変らず昼席。
事前の番組チェックはとりあえずした……正直、また芸協かよと思ったよ

だが今回は名跡だけはそろっていた。
雷門助六・三笑亭可楽・春風亭柳橋、しかも当日笑福亭鶴光が抜いて桂文治が出演。
これ、50年前だったらすごい興行ですよ。
名を継いだ方々のプレッシャーたるや、想像がつきません。

浅草のビックリ箱
さて、浅草演芸ホールはその名の通り浅草にある。
東京メトロ銀座線を田原町で降りて、しばらく歩く。
東洋館の横が浅草演芸ホールだ。
これまで行った鈴本・新宿末廣との違い。
それは「観光地にある寄席」ということ。
鈴本・新宿末廣ならびに永谷商事系は、どれも街の中に「ボッ」と埋め込まれるように建っている。そこに環境との関連性は何も無い。
だがここは、横を見遣ればもう仲見世。ちょっと歩けば浅草寺の雷門。
街自体が観光地みたいなところのど真ん中に建っているので、寄席の作りも客引きも、とってもこなれた感がある。
テーマパークの一施設って感じだ。

哀しいことに、空気感に偏るという悲劇は客層にも反映されてしまっていた。
ほとんどの客が観光ツアーの一環で来ているようで、マナーがなっとらん。
移動の時間がきたら口演中でも平気でガヤガヤ退席するし、菓子の入ったビニル袋をワシワシやって音を立てる。
客はほぼほぼ爺婆。鈴本や新宿末廣よりもずっとそうだ。
こういう老人どもに年金がいっていると思うと、腹が立つ。
もう賦課方式、やめようよ。

まあいいや。高座を振り返ろう。

2時を回った頃に入ると会場は満席だった。会場に目を遣る。シーリングに赤白の提灯が飾り付けられている。高座奥は白い襖。とても明るい舞台だ。
高座では古今亭壽輔が、老いらくを毒舌で弄ぶ漫談で客席を湧かせていた。語り口調は粘着質なのだが、しつこさが後に引かない。これはなかなか出せない妙味だ。この一席だけは客席下手で立ち見した。

お次は雷門助六。先代助六は住吉踊りを掘り起こして寄席文化を現代につないだ。当代は飄々とした語り口調で、田舎者の田舎言葉をからかう「けめづか温泉」なる噺をやった。なにかこう、キンキンした感じ。「おなじみの一席」と称して演ったが聞いたことはなかった。

お次は独楽の曲芸・やなぎ南玉。独楽を重ねて回したり、棒の上で回したり、糸の上を渡らせたり。最後は刀の刃を渡らせ、切っ先で止めて回して見せた。まったく抜かりなく見事にやりおおせたので「なるほど」と見とれるのだが、それ以上でもそれ以下でも無い。こういうのって、一回ワザとでいいから失敗して、客席が固唾を飲むような振りを仕掛けておいてから、見せるところはキチンと見せるというのがいいのではないかと思った。

中トリは9代目三笑亭可楽。漫談。先代可楽は寄席巧者で今でもファンが多い。当代は79歳。脚が悪いのか緞帳上げ板付きで登場。先のやなぎ南玉師がはねた後、緞帳が降りたので、終わったと思って席を立った客が結構いた。これは箱側に何らかの対策がいると思う。
イスラム国やパレスチナ紛争についての漫談とも言えぬ話をやった。せめて中トリだから落語を聞きたかった。寄席で芸人が世情を風刺するのはいいが、政治意見をいうのはどうかと思った。

<中入り>
ちょうど三時ごろでだいぶ客が減った。老人が減って、会場が広く感じる。たぶん現代社会も数十年後「中入り」を迎えたら、こんな風にだだっぴろい社会になるのだろう。

食いつきは、番組表によると春風亭柏枝となっていたが、春風亭愛橋が登場。その名の通り愛嬌あふれた調子で松竹梅を演った。なんというか……自分がどう見えているかを一度観察し、「どう見えているか」だけでなく「どう見られたいか」「どう見せたいか」を研究したら、随分違ってくると思う。

お次はチャーリーカンパニー。男二人コント「先生と親父」。この日一番の好演だったのではなかろうか。客は、最初のうちは先生役のツッコミを追うのだが、いつの間にか親父役がどんな答えを言うのか期待するように心が遷移していく。そういう点で非常に巧妙で、客席から見ていて一番心地よかった。親父役は一瞬レオナルド熊かと思った。

お次は柳亭楽輔。演目は風呂敷。テキストは完全に5代目古今亭志ん生。クスグリもテンポもほぼ同じ。大名人の作り上げたネタゆえか、よく受けていた。だが一ヶ所だけ「ウーン…」となったところが。志ん生が「女心のアカサカ」と言っていたところを「女心のアカサカミツケ」としていた。少しでもネタにコントラストを付けようとしてのことだろうけれど、無意味だし却ってダメだと思う。だって「あさはか」は、「あかさか」とは言い間違えても「あかさかみつけ」とは言い間違わないでしょ。せっかくの根問部分に妙なワザとらしさが出やしないか。そういう点が「あさはか」だ。

膝前は11代桂文治。本来出るべき鶴光が席を抜いて代演とのこと。気になっていた噺家だったので可とする。むしろ歓迎だ。
師匠は10代文治で桂伸治で売れた人。遡って8代9代もそれなりに名を遺している。落語界の数ある名跡の中でも極めて歴史のある大きな名前である。
11代の演目は時そば。ボカボカ受けていた。特に秀逸なのは仕草。ソバ喰いの演じ方は客席の感嘆を誘っていた。さすが大名跡、桂流の家元。やはり文治を継ぐだけ合って、客を惹きつける力は非常に強い。
しかし……あれは落語の発声だろうか。あまりに甲高く大きな声で、やや乱暴な気がした。ホール落語向けな感じがビンビンする。

膝替わり・色物はボンボンブラザーズ。バランスを中心とするジャグリング曲芸。失敗を交えてハラハラを誘い、見る者を釘付けにした。前の時そばがアッケラカンとしていただけに、高座の空気がピリリと締まった。こういう空気づくりがやなぎ南玉師にもあったら、と。

大トリは8代春風亭柳橋。師匠は7代目で三木助門から6代柳橋へ移った人。6代目といえばかつて芸協の帝王だった「でナッ」で有名なとんち教室の先生だ。
当代の演目は古典落語・お見立て。割りかしあっさりした芸風で、聞きやすくわかりやすかった。若い人かと思ったら、もう60前だと知って驚いた。膝前が超あっさりの滑稽噺だっただけに、ここは名人ものか何かで良かったのではないかと思ったが……演目を先に決めたのがどっちかわからないので何とも言えない。

とまあ、大収穫ってのはなかったけど……楽しかった。
やっぱり寄席はいいねえ。

あれ? どうして俺、こんなに淡白なことしか言えないんだろ?

次はぜひ池袋演芸場を訪れて、定席巡りを一先ず終えたい。
願わくば、落語協会の席にあたらんことを……。
(観覧したらたまたま芸協が二回連続だったから言うんですよ。他意はありませんよ、他意は)

2015/10/15

新宿末廣亭に行ってきた。


鳴門の渦潮の様に潮目の読めぬ我が人生は、
奇しくも再び私を東京に誘ったので
ええいままよと新宿末廣亭へ暴れ込んだ  

物々しい書き方ではじめたことに特に理由は無い。
風邪気味で頭がおかしいのだ。

前回上京の際、鈴本演芸場を訪れた私は、初寄席の感動と落語協会のなかなかの顔付けに感激し、「いや、ジツに素晴らしいよ」と再び寄席を訪れることを心に誓った。

そしてチャンス再来。
上京の運び、いざ寄席へ。

だが、いざとなると「せっかくだから他の寄席も体験してみたい」という思いに駆られ、そこで前回同様四定席の番組を全てチェックし、行く先を吟味することにした。

本来、寄席なんちゅうのは「今日は何やってっかな?」という感じでふらっと立ち寄って、顔付けににとらわれずハァハァ笑って楽しむもんなのだろう。ある職人が雨が続いてヒマだから寄席でも行くかと何気に木戸をくぐったら、志ん生が黄金餅を演ってて「こいつはいい日に入ったもんだ。儲かったわい」と喜んだ、という話を聞いたことがある。
そんなもんなのだ。

だが、わたしは、貧乏性だから常に得をしたい。
顔付けにとらわれる、所詮ミーハーな芸の分からぬ男なのである。

   ( `ー´)

スケジュールの都合上、観劇は昼席。
各席の番組を見渡すと、やっぱり鈴本が一番よさそうだ。

主任は川柳川柳で、中トリが三遊亭圓歌。
前回ガーコンは拝んだので主任はさておき、圓歌師匠は見ておきたいところ。先日別のところでお弟子さんに伺ったところ、もう「山のあなあなあな…」は演らないらしく、もっぱら「中沢家の人々」だそうだ。この師匠も高齢なので、今のうちに拝んでおきたい気持ちがヤマヤマなのだが。

……せっかくだから鈴本以外に行こう。なかなか上京する機会もないので。
というわけで、新宿末廣亭に行くことに。

理由は「池袋や浅草よりは顔付けがよさそうだった」から。

主任が三遊亭遊三、中トリは笑福亭鶴光。中トリの膝前に三笑亭笑三師匠が入っており、回文名跡がダブルで観られるという、だからなんだという席であった。芸協のベテランが名を連ねている割に、目立った名前が鶴光というのは、なんたる皮肉か。

……毎回番組をチェックして思ってたんだが、ぶっちゃけ言うけど、芸協の顔付けは、どうもなんというか、あの、アレだ。鈴本が外すのもわかる(厳密に言うと芸協から外れたのだが)。

顔付けはさておき。

古イイ!
寄席の佇まいや雰囲気でいったら新宿末廣亭はもはや文化財の域なのではなかろうか。
アルタから新宿通りをずいっと進み、「なんとか銀行」を左に折れて狭い路地へ顔を向ける。
するとその先に巨大な幟旗、橘右近の寄席文字が目に映る。
歩み寄るとモノモノしい黒ずんだ木造の拵え。壁に屋根に大小の名跡看板。
表の受付で入場券を購入し、すぐ横の入り口の姉さんに渡す  その距離わずか三歩程度。近いよ。

板戸を開けてもらい、中に入るとそこはもう客席。

舞台は間口四間くらいだろうか。高座の正面は襖、下手は床の間、上手には演者の名前を示す窓の付いた衝立。世界観はあくまで御座敷なのである。
客席に目を遣ると、真ん中はズラリ椅子席、上下は桟敷席。桟敷の部分は囲いがめぐり、その上を提灯が並んでいる。二階席もあるのだが立入禁止となっていた。

せっかくここに来たのだからせめて桟敷に座ろうと、下手側の一番後ろに胡坐をかく。
タタミ、すっごい斜めってる。
前を観ると柱が邪魔。だけどこの柱のせいで、ものすごい奥行きがある感じがする。

雑誌などの写真で目にする新宿末廣亭のイメージといえば、舞台の左右にあるいかにも古めかしいエアコン(冷風扇?)だ。今回実物を見ると、送風口の下に発泡スチロールの板が仕込まれていた。たぶん水が垂れてくるんだろう。撮影の時は外すんだろうな。
そりゃそうだ。大事に使ってるんだよ。

全体的に、正直キレイかとか上等かと言われたら、年季が入っているだけにそうとは言い切れない。壁中貼り紙だらけで、薄暗くて、歪んでて。

でも、同時にここの良さにも一つ気付く。
おそらくここでは落語など大衆演芸の興行しか出来ないだろう。
極端な例を云うなら、鈴本演芸場のホールなら小さな学校が卒業式をやっても違和感は少ないが、末廣亭ではできないと思う。
末廣亭は、その限定性によって強い寄席色を醸し上げ、高い付加価値を生んでいるのである。

私が入ったのは2時くらいだったか。
通されて桟敷の後ろに陣取った私が高座に目を遣ると、三笑亭笑三師匠が「ぞろぞろ」を演っていた。
かつて八代可楽・二代圓歌という寄席巧者に師事したおじいちゃんは、現役最高齢の九〇歳。こんにち知る人は少ないが、この方こそテレビラジオ時代の最初のマルチタレントと言えよう。本業落語のみならず、テレビラジオのパーソナリティー・ドラマ脚本・イラストレータなどなど、ある意味放送エンターテイメントを方向づけた人物だ。
ご高齢なので、動きの少ない言葉中心のネタを見せるかと思いきや、動きの多い仕方噺を演るあたり流石だ。またこれが妙に色があった。師匠の美学みたいなものを強く感じた。
あの下げ方はおどろおどろしていいなぁ。  何とも書きようがないが。

二番手は夫婦漫才。東 京太・ゆめ子。ぼんやりした夫としゃべくりの妻という定番ネタで、この日一番笑いを取っていたと思う。笑三師匠の醸した濃いおかしみの後をパッと明るくした。

中トリは笑福亭鶴光。東京でまさか上方の落語家にまみえようとは思わなかった。エロ漫談のイメージが強い師匠だが、この人の古典落語の力量にはすごいものがある。話は自身の師匠・六代目笑福亭松鶴のことをおもしろおかしくした漫談。古典ではなかったが、それなりにおもしろかった。そもそも六代目松鶴という人自体がめちゃくちゃな人だ。おもしろくないわけがない。

<中入り>
男子トイレが並んでいて、女子トイレがスイスイいってるというのは、あまり見かけない絵だ。そりゃあまあ、男の客が断然多いし、老人ばかりだから前立腺やら肥大しまくって出てこない→時間がかかる。無理ないわな。

上手後方に売店。みんながジュースなど買って席にもどったところで下座さんの演奏がはじまる。時間通りじゃなくてもみんながそろったらはじめちゃう辺り、家族みたいやな。ええなぁ。

食いつきは三遊亭遊吉。中入りの時のことなどをスルリと枕でネタに出来るあたりとても頭のいい人だと。ネタは「芋俵」。演じ分けがイマイチかと。

膝前は桂伸乃介。ネタは「千早振る」。一〇世家元桂文治の弟子とのこと。うん。それだけ。

膝替わりは大神楽・鏡味仙三郎。太神楽とは大道芸である。
大層な御老体。痩せているのでスーツが良く似合う。この日はちょっと調子が悪かったのだろうか。「お盆に手がくっつきます」みたいなのと、傘を開いて顔に乗っけて維持するのと、傘をくるくる回してその上でボールやら升やら馬鈴やらを転がすのを“かろうじて”やった。すぐに取り落としたり、「あれ?」と言ってみたり。そういうのをわざとやる人もいますけど、どう見てもそうじゃない。終いには客席が気を遣いだし、二秒でも出来たら拍手しようとするほど。見ていてこっちがハラハラしましたね。
一〇分くらいで下がっちゃった。

主任は三遊亭遊三。笑点メンバーである小遊三の師匠である。
でっぷり肥えて声も太く、脂ぎっていらっしゃるのだが、御年77歳。笑三師匠や前の仙三郎師匠をまみえた後だとだいぶ若く思えるが案外そうじゃない。
演ったのはおなじみ「ぱぴぷぺぽ」替え歌。さらに古典落語「親子酒」。替え歌はまあいいとして、親子酒はよかった。たぶん酔っぱらいが上手いのだろう。だがウィキによるとまったくの下戸だとか。分からないものだ。

主任のあと、余興「二人羽織」。中入り後の落語家三名がコント仕立てで客席の御機嫌をうかがった。こういうのもいいものですね。ここでも三遊亭遊吉の機転が利いて、頭の良さをうかがわせていた。

ハネてから思ったのだが、三人とも髪が薄々である。
出演者最長老の笑三が一番モッサリしていたな。

最後に、告白しよう。

開演中、客席後方に三人くらい若いお姉さんがいて、途中で入る方を案内したり、いろいろと用をしていたが、何もないときは折りたたみいすを開いて高座を見ていた。たぶんいつも見ているだろうし、芸人さんとも懇意でしょうから、いちいち笑ったりすることはなかったが、とても感じの良い人たち。
みなさん結構美人だったので、桟敷の一番後ろにいた私はついそっちばかり見ていました。今回の落語エッセー、中入り後の二人の記述が極めて浅いのはそのためです。
すみません。