2025/01/21

久しぶりに書き込んでみる。

10年ぶりの投稿だい。
特に申し上げることもありませんが、タイムカプセルを開いたような心境です。
10年以前の出来事や自分の考えたことが記されているんですもん。
他の誰にも意味はないかもしれないけど、ぼくにとっては、なかなか貴重なブログです。
デジタル遺跡。
デジタル古文書。
デジタル\(^o^)/万歳!

2015/12/18

池袋演芸場に行ってきた。

縁あって、池袋演芸場を訪れた。
ついに定席四寄席制覇である。
行きたいと思っても十数年叶えられなかったことが、ほんの半年で達成できた。
人生、何でも終わればあっけないものである。

さて、今回も毎度のように事前に番組をチェックしてから望んだ。
正直に言おう。
「また芸協かよ」
そう思った。

だがしかし、そんな物言いをしたことを、今回ばかりはお詫びして撤回せねばならない。
非常に素晴らしい熱演が並んだ。
すごいなあ!やればできるじゃないか!
因みにこの日は講談のトリ席だった。落語家たちは、講談に失礼のないよう、あるいは講談に負けないよう芸に熱がこもったのかもしれない。

   *

駅から近くても、駅自体が迷宮じみてる
池袋演芸場は池袋駅西口から歩いて三分。
他のところは最寄り駅から寄席まで結構歩かされるので、寄席に着いてもまだ息が上がっているからなかなかホールに入れないが、ここはそんな心配はない。

ただ、池袋という場所自体が面倒だ。

表でチケットを買って、会場へ。
ホールは地下二階。暗く湿った階段を降りていく。フロントでチケットをもぎってもらい会場の扉を開くと、意外に明るくてきれいなことに驚く。古臭さは微塵もない。

だが狭い。

客席は100席無い。
しかもそれが横に広がっているため、高座との距離が非常に近い。半分以上の芸人がマイクロフォンを使っていなかったと思う。
この近さが、他の寄席に無いライブ感を醸す。
演芸場でもそれを十分理解しているようで、この寄席だけ他の席よりひと番組あたりの時間が長い。通常一時間に4つだが、ここでは3つくらい。
だから芸人は演る気まんまん、客も聞く気まんまんだ。ある意味コアなファンの巣窟である。

私が池袋演芸場に入ったのは、3時をちょっと回った頃だった。
もちろん昼席。
客席は、まばら。老人オンリー。

高座はすでに膝前で、桂小文治が飄々と幇間を演じていた。御座敷での虱の噺。語りより仕草の面白さ。幇間の口調が八代目桂文楽のそれだ。場内の空気が華やいだ。

膝替わりはやなぎ南玉師。曲独楽。こないだ浅草で観たばっかりだったが、やはり安定感があるなぁ。
それにしても、曲芸とか大神楽ってのは、場内がキュッと締まる。前が華やかだっただけに。こうなると、トリは演りやすかろう。寄席の番組構成の旨さである。

昼席トリは柳家蝠丸。痩せてほっそりしている。白髪で短髪。後で調べたら170センチで40キロ代だとか……大丈夫かよ。「暗くてイヤな話をします」と前置きして演ったのは「鼠穴」。語り口は端正で、ナカ高の風貌も含めて三代桂三木助を彷彿とさせる。だが……やはり難しい。火事のシーンで、目に炎が見えない。セリフにもリアリティがない。
オチは、兄貴を悪く言う夢を見て、穴があったら入りたい→なんの(ねずみ)穴があったから見た夢じゃないか。これは初めて聞いた。「土蔵の疲れ」よりは現代的でいいかも。

<夜席>

池袋演芸場は昼夜入れ替え無し。さっきまでガラガラだったのに、新たに流れ込んで、はじめから8割くらいの席が埋まった。相も変わらずお年寄りがもりだくさん。その多くが、トリの講談師・神田紅の熱心なファン。講談って、人気あるんだね。

開口一番は三遊亭遊かり。前座さん。番組表に名前が無い。ネタは金の大黒。ソツは無いけど、なんなのだろう……演るのでいっぱいなのか、あるいは?

お次、講談・神田蘭。創作講談。信長の年増好き・きつのという姫の話。生の講談は初めて聞いた。落語より語りに特化していて、キレが良い。見せどころがしっかりしていてよかった。もっと後の出演でも良かったのでは、と思った。

お次は色物、マジックジェミーは手妻(手品)。赤髪・サングラス・ヒョウ柄・英語。何から何まで濃い。客を入れての手品もあり、かなり盛り上がった。講談と落語の間に挟まるのはどんな気分か分からないが、とにかく空気がガラリと変わった。

客というものは、多く笑わせるとちょっと疲れる。疲れさせたところを軽い噺ですっと慣らすと、またちょっと聞けるようになる。
お次の柳亭芝楽はその任をうまくこなした。ネタは権助魚。陽気で楽しい高座。おつむりの具合と陽気さに、桂枝雀を思い出す。

お次、桂米多朗。蝦蟇の油。こういうのは噛んじゃダメなのは当然のこと、途中でちょっとひっかかるだけでもいけない。客と高座の距離が近いだけに、小さなほころびが凄く目立つ。池袋は怖いところだ。むしろ講談師の蝦蟇の油の口上が聞きたかった。あとは赤い着物だったことくらいしか記憶にない。

コント・チャーリーカンパニー。先生と親父の、先月浅草で観たのと同じネタ。やっぱりおもしろい。二度見て改めて気づく。細かいことまでガッチリ計算されている。さすがプロ。

お次は山遊亭金太郎。我慢灸。枕は我慢灸のお決まり「湯のがまん」で、基本のテキストは志ん生のようだ。オーバーアクションがGood。熱さを堪える表情も迫真。まさに好演である。 

中トリは古今亭壽輔。十分な客いじりで前の熱演をいなしてから、創作落語に入る。
上司に誘われる新婚の部下が妻・桃子をのろける話。
ギリギリまで間を持たせて客の耳目と期待を惹きつける力、客席の空気の察知力、噺の器用さ……天才的に勘がいい。前回の浅草でも思ったが、寄席を廻せる芸人としての力量は現在の第一人者なのではなかろうか。だからこそ、夜の中トリが務まる。

<中入り>
喫煙室は客も芸人も一緒くた。だが芸人は媚びないし、客もミーハーに騒ぎ立てない。良い距離が自然に保てる関係。地下寄席ながら、近寄せない。

食いつきは三遊亭遊雀。ネタは浮世床。噺のテンポも演技も抜群に良い。昼席といい、中入り前の金太郎・壽輔といい、今夜のラインナップは素晴らしい。芸協へのこれまでの罵詈雑言を猛反省した。夢のシーンは若干八人芸のようにも聞こえたが、劇中劇だから良いかと。タレント性もある人だと思う。

膝前は三遊亭圓馬。最初は漫談で、その後時そば。ベターにこなす。遊雀が大いに盛り上げて、後に東京ボーイズが控えるという「難しどころ」としては、ちょうど良かったのかも。若干長めにやっていた気がする。

膝替わりは東京ボーイズ。ウクレレと三味線のコンビ漫談。大ベテランだ。最初、二人だったっけ?と思った(註:やはり2007年に一人亡くなってる)。間の上手さが神がかっている。拝めてよかった。

主任は講談師、神田紅。忠臣蔵の後日談。おいしと母堂がいしの実家で四十七士の討入を知らされるシーン。力強く語られる討入の模様が迫真。最後に寄席の小踊りを見せて下がる。講談はあまり詳しくないが、落語には無いキレがあり、聴きごたえはあった。
最後の踊り。落語家の座興は周知だが、講談師が踊るのは初見だった。鼻に突かないさらりとした舞いで、見ていて心地が良かった。講談の内容がヘビーだっただけに、終演(はね)た後の客の足取りを軽くした。

   *

そんなわけで、終わったのは8時半。昼席から夜席のトリまでブチ抜き。
五時間半だ。さすがに疲れたよ。

次、行くのなら、国立演芸場だな。
だが、こんなに上京する機会も、そろそろ終焉のような気もする……。

2015/11/20

浅草演芸ホールに行ってきた。

良い機会に恵まれて、四定席の一つ、浅草演芸ホールを観覧してきました。

東京定席巡りも三席目。シリーズも佳境に入り、私はおのぼりさんの分際で「にわか江戸っ子」を決め込み、「大人一人、くんねぇ」と、浅草の地に足を踏み入れたのであります。

今回は旅程の都合上、浅草にしか行けなかった。
相変らず昼席。
事前の番組チェックはとりあえずした……正直、また芸協かよと思ったよ

だが今回は名跡だけはそろっていた。
雷門助六・三笑亭可楽・春風亭柳橋、しかも当日笑福亭鶴光が抜いて桂文治が出演。
これ、50年前だったらすごい興行ですよ。
名を継いだ方々のプレッシャーたるや、想像がつきません。

浅草のビックリ箱
さて、浅草演芸ホールはその名の通り浅草にある。
東京メトロ銀座線を田原町で降りて、しばらく歩く。
東洋館の横が浅草演芸ホールだ。
これまで行った鈴本・新宿末廣との違い。
それは「観光地にある寄席」ということ。
鈴本・新宿末廣ならびに永谷商事系は、どれも街の中に「ボッ」と埋め込まれるように建っている。そこに環境との関連性は何も無い。
だがここは、横を見遣ればもう仲見世。ちょっと歩けば浅草寺の雷門。
街自体が観光地みたいなところのど真ん中に建っているので、寄席の作りも客引きも、とってもこなれた感がある。
テーマパークの一施設って感じだ。

哀しいことに、空気感に偏るという悲劇は客層にも反映されてしまっていた。
ほとんどの客が観光ツアーの一環で来ているようで、マナーがなっとらん。
移動の時間がきたら口演中でも平気でガヤガヤ退席するし、菓子の入ったビニル袋をワシワシやって音を立てる。
客はほぼほぼ爺婆。鈴本や新宿末廣よりもずっとそうだ。
こういう老人どもに年金がいっていると思うと、腹が立つ。
もう賦課方式、やめようよ。

まあいいや。高座を振り返ろう。

2時を回った頃に入ると会場は満席だった。会場に目を遣る。シーリングに赤白の提灯が飾り付けられている。高座奥は白い襖。とても明るい舞台だ。
高座では古今亭壽輔が、老いらくを毒舌で弄ぶ漫談で客席を湧かせていた。語り口調は粘着質なのだが、しつこさが後に引かない。これはなかなか出せない妙味だ。この一席だけは客席下手で立ち見した。

お次は雷門助六。先代助六は住吉踊りを掘り起こして寄席文化を現代につないだ。当代は飄々とした語り口調で、田舎者の田舎言葉をからかう「けめづか温泉」なる噺をやった。なにかこう、キンキンした感じ。「おなじみの一席」と称して演ったが聞いたことはなかった。

お次は独楽の曲芸・やなぎ南玉。独楽を重ねて回したり、棒の上で回したり、糸の上を渡らせたり。最後は刀の刃を渡らせ、切っ先で止めて回して見せた。まったく抜かりなく見事にやりおおせたので「なるほど」と見とれるのだが、それ以上でもそれ以下でも無い。こういうのって、一回ワザとでいいから失敗して、客席が固唾を飲むような振りを仕掛けておいてから、見せるところはキチンと見せるというのがいいのではないかと思った。

中トリは9代目三笑亭可楽。漫談。先代可楽は寄席巧者で今でもファンが多い。当代は79歳。脚が悪いのか緞帳上げ板付きで登場。先のやなぎ南玉師がはねた後、緞帳が降りたので、終わったと思って席を立った客が結構いた。これは箱側に何らかの対策がいると思う。
イスラム国やパレスチナ紛争についての漫談とも言えぬ話をやった。せめて中トリだから落語を聞きたかった。寄席で芸人が世情を風刺するのはいいが、政治意見をいうのはどうかと思った。

<中入り>
ちょうど三時ごろでだいぶ客が減った。老人が減って、会場が広く感じる。たぶん現代社会も数十年後「中入り」を迎えたら、こんな風にだだっぴろい社会になるのだろう。

食いつきは、番組表によると春風亭柏枝となっていたが、春風亭愛橋が登場。その名の通り愛嬌あふれた調子で松竹梅を演った。なんというか……自分がどう見えているかを一度観察し、「どう見えているか」だけでなく「どう見られたいか」「どう見せたいか」を研究したら、随分違ってくると思う。

お次はチャーリーカンパニー。男二人コント「先生と親父」。この日一番の好演だったのではなかろうか。客は、最初のうちは先生役のツッコミを追うのだが、いつの間にか親父役がどんな答えを言うのか期待するように心が遷移していく。そういう点で非常に巧妙で、客席から見ていて一番心地よかった。親父役は一瞬レオナルド熊かと思った。

お次は柳亭楽輔。演目は風呂敷。テキストは完全に5代目古今亭志ん生。クスグリもテンポもほぼ同じ。大名人の作り上げたネタゆえか、よく受けていた。だが一ヶ所だけ「ウーン…」となったところが。志ん生が「女心のアカサカ」と言っていたところを「女心のアカサカミツケ」としていた。少しでもネタにコントラストを付けようとしてのことだろうけれど、無意味だし却ってダメだと思う。だって「あさはか」は、「あかさか」とは言い間違えても「あかさかみつけ」とは言い間違わないでしょ。せっかくの根問部分に妙なワザとらしさが出やしないか。そういう点が「あさはか」だ。

膝前は11代桂文治。本来出るべき鶴光が席を抜いて代演とのこと。気になっていた噺家だったので可とする。むしろ歓迎だ。
師匠は10代文治で桂伸治で売れた人。遡って8代9代もそれなりに名を遺している。落語界の数ある名跡の中でも極めて歴史のある大きな名前である。
11代の演目は時そば。ボカボカ受けていた。特に秀逸なのは仕草。ソバ喰いの演じ方は客席の感嘆を誘っていた。さすが大名跡、桂流の家元。やはり文治を継ぐだけ合って、客を惹きつける力は非常に強い。
しかし……あれは落語の発声だろうか。あまりに甲高く大きな声で、やや乱暴な気がした。ホール落語向けな感じがビンビンする。

膝替わり・色物はボンボンブラザーズ。バランスを中心とするジャグリング曲芸。失敗を交えてハラハラを誘い、見る者を釘付けにした。前の時そばがアッケラカンとしていただけに、高座の空気がピリリと締まった。こういう空気づくりがやなぎ南玉師にもあったら、と。

大トリは8代春風亭柳橋。師匠は7代目で三木助門から6代柳橋へ移った人。6代目といえばかつて芸協の帝王だった「でナッ」で有名なとんち教室の先生だ。
当代の演目は古典落語・お見立て。割りかしあっさりした芸風で、聞きやすくわかりやすかった。若い人かと思ったら、もう60前だと知って驚いた。膝前が超あっさりの滑稽噺だっただけに、ここは名人ものか何かで良かったのではないかと思ったが……演目を先に決めたのがどっちかわからないので何とも言えない。

とまあ、大収穫ってのはなかったけど……楽しかった。
やっぱり寄席はいいねえ。

あれ? どうして俺、こんなに淡白なことしか言えないんだろ?

次はぜひ池袋演芸場を訪れて、定席巡りを一先ず終えたい。
願わくば、落語協会の席にあたらんことを……。
(観覧したらたまたま芸協が二回連続だったから言うんですよ。他意はありませんよ、他意は)

2015/10/15

新宿末廣亭に行ってきた。


鳴門の渦潮の様に潮目の読めぬ我が人生は、
奇しくも再び私を東京に誘ったので
ええいままよと新宿末廣亭へ暴れ込んだ  

物々しい書き方ではじめたことに特に理由は無い。
風邪気味で頭がおかしいのだ。

前回上京の際、鈴本演芸場を訪れた私は、初寄席の感動と落語協会のなかなかの顔付けに感激し、「いや、ジツに素晴らしいよ」と再び寄席を訪れることを心に誓った。

そしてチャンス再来。
上京の運び、いざ寄席へ。

だが、いざとなると「せっかくだから他の寄席も体験してみたい」という思いに駆られ、そこで前回同様四定席の番組を全てチェックし、行く先を吟味することにした。

本来、寄席なんちゅうのは「今日は何やってっかな?」という感じでふらっと立ち寄って、顔付けににとらわれずハァハァ笑って楽しむもんなのだろう。ある職人が雨が続いてヒマだから寄席でも行くかと何気に木戸をくぐったら、志ん生が黄金餅を演ってて「こいつはいい日に入ったもんだ。儲かったわい」と喜んだ、という話を聞いたことがある。
そんなもんなのだ。

だが、わたしは、貧乏性だから常に得をしたい。
顔付けにとらわれる、所詮ミーハーな芸の分からぬ男なのである。

   ( `ー´)

スケジュールの都合上、観劇は昼席。
各席の番組を見渡すと、やっぱり鈴本が一番よさそうだ。

主任は川柳川柳で、中トリが三遊亭圓歌。
前回ガーコンは拝んだので主任はさておき、圓歌師匠は見ておきたいところ。先日別のところでお弟子さんに伺ったところ、もう「山のあなあなあな…」は演らないらしく、もっぱら「中沢家の人々」だそうだ。この師匠も高齢なので、今のうちに拝んでおきたい気持ちがヤマヤマなのだが。

……せっかくだから鈴本以外に行こう。なかなか上京する機会もないので。
というわけで、新宿末廣亭に行くことに。

理由は「池袋や浅草よりは顔付けがよさそうだった」から。

主任が三遊亭遊三、中トリは笑福亭鶴光。中トリの膝前に三笑亭笑三師匠が入っており、回文名跡がダブルで観られるという、だからなんだという席であった。芸協のベテランが名を連ねている割に、目立った名前が鶴光というのは、なんたる皮肉か。

……毎回番組をチェックして思ってたんだが、ぶっちゃけ言うけど、芸協の顔付けは、どうもなんというか、あの、アレだ。鈴本が外すのもわかる(厳密に言うと芸協から外れたのだが)。

顔付けはさておき。

古イイ!
寄席の佇まいや雰囲気でいったら新宿末廣亭はもはや文化財の域なのではなかろうか。
アルタから新宿通りをずいっと進み、「なんとか銀行」を左に折れて狭い路地へ顔を向ける。
するとその先に巨大な幟旗、橘右近の寄席文字が目に映る。
歩み寄るとモノモノしい黒ずんだ木造の拵え。壁に屋根に大小の名跡看板。
表の受付で入場券を購入し、すぐ横の入り口の姉さんに渡す  その距離わずか三歩程度。近いよ。

板戸を開けてもらい、中に入るとそこはもう客席。

舞台は間口四間くらいだろうか。高座の正面は襖、下手は床の間、上手には演者の名前を示す窓の付いた衝立。世界観はあくまで御座敷なのである。
客席に目を遣ると、真ん中はズラリ椅子席、上下は桟敷席。桟敷の部分は囲いがめぐり、その上を提灯が並んでいる。二階席もあるのだが立入禁止となっていた。

せっかくここに来たのだからせめて桟敷に座ろうと、下手側の一番後ろに胡坐をかく。
タタミ、すっごい斜めってる。
前を観ると柱が邪魔。だけどこの柱のせいで、ものすごい奥行きがある感じがする。

雑誌などの写真で目にする新宿末廣亭のイメージといえば、舞台の左右にあるいかにも古めかしいエアコン(冷風扇?)だ。今回実物を見ると、送風口の下に発泡スチロールの板が仕込まれていた。たぶん水が垂れてくるんだろう。撮影の時は外すんだろうな。
そりゃそうだ。大事に使ってるんだよ。

全体的に、正直キレイかとか上等かと言われたら、年季が入っているだけにそうとは言い切れない。壁中貼り紙だらけで、薄暗くて、歪んでて。

でも、同時にここの良さにも一つ気付く。
おそらくここでは落語など大衆演芸の興行しか出来ないだろう。
極端な例を云うなら、鈴本演芸場のホールなら小さな学校が卒業式をやっても違和感は少ないが、末廣亭ではできないと思う。
末廣亭は、その限定性によって強い寄席色を醸し上げ、高い付加価値を生んでいるのである。

私が入ったのは2時くらいだったか。
通されて桟敷の後ろに陣取った私が高座に目を遣ると、三笑亭笑三師匠が「ぞろぞろ」を演っていた。
かつて八代可楽・二代圓歌という寄席巧者に師事したおじいちゃんは、現役最高齢の九〇歳。こんにち知る人は少ないが、この方こそテレビラジオ時代の最初のマルチタレントと言えよう。本業落語のみならず、テレビラジオのパーソナリティー・ドラマ脚本・イラストレータなどなど、ある意味放送エンターテイメントを方向づけた人物だ。
ご高齢なので、動きの少ない言葉中心のネタを見せるかと思いきや、動きの多い仕方噺を演るあたり流石だ。またこれが妙に色があった。師匠の美学みたいなものを強く感じた。
あの下げ方はおどろおどろしていいなぁ。  何とも書きようがないが。

二番手は夫婦漫才。東 京太・ゆめ子。ぼんやりした夫としゃべくりの妻という定番ネタで、この日一番笑いを取っていたと思う。笑三師匠の醸した濃いおかしみの後をパッと明るくした。

中トリは笑福亭鶴光。東京でまさか上方の落語家にまみえようとは思わなかった。エロ漫談のイメージが強い師匠だが、この人の古典落語の力量にはすごいものがある。話は自身の師匠・六代目笑福亭松鶴のことをおもしろおかしくした漫談。古典ではなかったが、それなりにおもしろかった。そもそも六代目松鶴という人自体がめちゃくちゃな人だ。おもしろくないわけがない。

<中入り>
男子トイレが並んでいて、女子トイレがスイスイいってるというのは、あまり見かけない絵だ。そりゃあまあ、男の客が断然多いし、老人ばかりだから前立腺やら肥大しまくって出てこない→時間がかかる。無理ないわな。

上手後方に売店。みんながジュースなど買って席にもどったところで下座さんの演奏がはじまる。時間通りじゃなくてもみんながそろったらはじめちゃう辺り、家族みたいやな。ええなぁ。

食いつきは三遊亭遊吉。中入りの時のことなどをスルリと枕でネタに出来るあたりとても頭のいい人だと。ネタは「芋俵」。演じ分けがイマイチかと。

膝前は桂伸乃介。ネタは「千早振る」。一〇世家元桂文治の弟子とのこと。うん。それだけ。

膝替わりは大神楽・鏡味仙三郎。太神楽とは大道芸である。
大層な御老体。痩せているのでスーツが良く似合う。この日はちょっと調子が悪かったのだろうか。「お盆に手がくっつきます」みたいなのと、傘を開いて顔に乗っけて維持するのと、傘をくるくる回してその上でボールやら升やら馬鈴やらを転がすのを“かろうじて”やった。すぐに取り落としたり、「あれ?」と言ってみたり。そういうのをわざとやる人もいますけど、どう見てもそうじゃない。終いには客席が気を遣いだし、二秒でも出来たら拍手しようとするほど。見ていてこっちがハラハラしましたね。
一〇分くらいで下がっちゃった。

主任は三遊亭遊三。笑点メンバーである小遊三の師匠である。
でっぷり肥えて声も太く、脂ぎっていらっしゃるのだが、御年77歳。笑三師匠や前の仙三郎師匠をまみえた後だとだいぶ若く思えるが案外そうじゃない。
演ったのはおなじみ「ぱぴぷぺぽ」替え歌。さらに古典落語「親子酒」。替え歌はまあいいとして、親子酒はよかった。たぶん酔っぱらいが上手いのだろう。だがウィキによるとまったくの下戸だとか。分からないものだ。

主任のあと、余興「二人羽織」。中入り後の落語家三名がコント仕立てで客席の御機嫌をうかがった。こういうのもいいものですね。ここでも三遊亭遊吉の機転が利いて、頭の良さをうかがわせていた。

ハネてから思ったのだが、三人とも髪が薄々である。
出演者最長老の笑三が一番モッサリしていたな。

最後に、告白しよう。

開演中、客席後方に三人くらい若いお姉さんがいて、途中で入る方を案内したり、いろいろと用をしていたが、何もないときは折りたたみいすを開いて高座を見ていた。たぶんいつも見ているだろうし、芸人さんとも懇意でしょうから、いちいち笑ったりすることはなかったが、とても感じの良い人たち。
みなさん結構美人だったので、桟敷の一番後ろにいた私はついそっちばかり見ていました。今回の落語エッセー、中入り後の二人の記述が極めて浅いのはそのためです。
すみません。

2015/08/27

鈴本演芸場に行ってきた

ひさびさに落語のことを書く。

長らく「落語フリーク」を自認しておきながら、心の片隅に引っかかっていたことがある。

それは、寄席に行ったことが無いことだ。

これまで、鹿児島で行われたホール落語は聞いたことがあった。
あとイベントの仕事でちょっと。
だが、日本に現在四つある定席の寄席の一つにもに行ったことが無いという事実は、落語ファンとして何にもまして悲しいことだった。

定席の寄席とは……

・新宿末廣亭
・池袋演芸場
・浅草演芸ホール
・鈴本演芸場

  の四席のこと。

それぞれの席は、一カ月を上席・中席・下席の三つに分けられ、そこで落語協会・落語芸術協会いずれかが興行を打っている(大まかに言えば。ちなみに鈴本は前者のみ開催)。
しかしそれにしても。
○谷商事の展開する寄席は、それなりのキャパシティで運営されているのに、なぜ定席的な存在感を認められないのだろう。

ま、なんか言うに言われぬ理由があるのでしょうね。

それはさておき。

このたび私は「ヒョン」なことから東京で半日自由な時間を過ごすチャンスを得、これを機に「寄席デビュー」を果たそうと息巻いたのだった。

この日のために各席のWEBサイトをどんだけチェックしたことか。
その結果、私の中の一番人気は池袋演芸場だった。

この席はしばしば「端席」と呼ばれ、運営的に幾度となく苦境に立たされた過去がある(らしい)。しかしその一方で、落語協会時代の立川談志が義侠心から独演会を行い満員にするなど、ファンの記憶に残っている寄席でもある。最近でも、2015年8月上席初日に落語界三人目の人間国宝である柳家小三治の主任興行が催されるなど大きな話題となったし、それでなくとも私が検討していた日の夜席の主任は「こぶ平の正蔵」が務めるなど、しっくりくるメンツの並ぶ番組構成が魅力的だった。
んで、それ以外の席は正直あんまりパッとしなかった。
(定席ではないが、国立演芸場は休演だった)

で、当日2015年8月26日。
仕事の都合上、銀座線日本橋駅の辺りで自由の身になった私は、夜までに成田に向かわねばならなかったので、地理的に道中にある鈴本演芸場に行くことにした。池袋に後ろ髪を引かれる思いもしたが、とにかく近い所に行った。おのぼりさんなのでびびって安全なルートを選んだのである。

鈴本の客席はビルの三階にある。
席数はざっと250程度。全席イスである。落語の寄席というと桟敷席や畳の印象がだが、鈴本はごく普通のホールだ。もっとも能狂言のように古式に厳しく則るあまり風化を余儀なくされている伝統芸能より、時代の変化に適応して残っていこうとする姿勢は、よいと思う。
ちなみに1階受付・2階自販機、4階はトイレ。2階にもトイレがあるぞ。中入りの時4階のトイレは混むからこちらが狙い目だろう。

さて、箱の話はそれくらいにして。

受付で大人一人2800円の木戸銭を払い、ついに鈴本の客席へ足を踏み入れる。
舞台ではベテラン漫才コンビ「ホームラン」が、その名に似合わぬ謙虚な「安打」的笑いで会場を温めていたところだった。
なかなか面白かった。ボケ役が絶対的優位性を有してツッコミ役にボケをイメージングさせていくあたり、中田カフス・ボタンに似ていると思った。適度に客いじりもあり、いかにも寄席という雰囲気で、初寄席の私としては非常に入りやすい出し物であった。

ホームランの後に出てきたのは、川柳川柳。
周りの人が「あれなんて読むの?」なんて言っているのが聞こえる。
「かわやなぎ・せんりゅー」。元「三遊亭さん生」六代目圓生の直弟子で、御年84歳の大御所である。思ったよりずっと小さいおじいちゃん。
噺は毎度おなじみ「ガーコン」(たぶんこの方はいつもこれだ)。軍歌やジャズの部分は声に張りがあり、実にいきいきとしていた。客席は年寄りばかりで、軍歌の時は客席から合唱や手拍子が出た。寄席における川柳師匠のニーズの高さを物語っている。とはいえ師匠の方が大概の年寄客より年上だろう。
途中で一度くしゃみをし「高座でくしゃみをしたのは初めてだ。みなさんいい物観れたね」と笑いを誘ったが、そんなものなのだろうか。しかも、昔一度だけしゃっくりが止まらないまま一席演ったとのことだったが、そっちの方が想像するのが難しい。
こんな言い方をするのはアレだが、川柳師匠が元気なうちに生のガーコンを観れたことは幸いだ。以前、鹿児島で催された六代目桂文枝襲名公演で4代目金馬の「試し酒」を聞いた時と同じ感慨だ。ありがたやありがたや。

お次は三遊亭歌武蔵。
大きな体で不機嫌そうに話をするこの元関取は、かつて鹿児島で一緒にお仕事をさせていただいた時に直接お話をうかがったことがあったので、親近感があった。かねてより「らくだ」を最後まで演じるなど、正統派の実力者というイメージがあったが、この日は漫談で客席の空気をあたためた。内容は相撲に関するタブー的なよもやま。不機嫌な巨漢キャラは誰でもマツコ・デラックスに近似して見える。次はぜひ古典落語を聞きたい。

中トリ前は珍芸、江戸家小猫。眼鏡の人。
ものまね芸の猫八一門の嫡子で、彼が猫八を継いだら4代目となる。初代は明治元年生まれだそうだ。
最初は一門のお家芸・ホトトギスと鶯の鳴きまね。続いて犬猫猿孔雀羊ヤギアシカアルパカ……イメージとリアルのギャップについての解説を挟みつつ進行していく。
一番の印象は、とにかくものまねの音量が大きいこと。寄席の外まで聞こえそうなくらいだ。もっともマイクを使っているので通るものとは思うが、テレビなどで観て想像していたのとするとずっと大きかった。
あんまり猫の声は似てない気がした。普通と盛っている時の間くらいだったのかな。

中トリは橘家文左衛門。演目は「夏どろ」。彦六の孫弟子さんとのこと。
口調が麻生太郎にそっくりである。それでいて志ん朝師匠の様に勢いがあり、すごくわかりやすくてよかった。

<中入>10分。トイレ休憩だね。
便所に長蛇。
年寄って、なんでなんでもないときに、ウンウンうなずいてるんだろうね。

食いつきは「ニックス」なる姉妹漫才。ちょっときつかったなぁ。
中盤かなり間延びした。雑談を聞いている感じ。

お次は橘家圓太郎。
演目は「祇園祭」。8代目桂文治のお家芸だ。が、圓太郎師匠も負けていない。口調は八代目可楽を思わせる。京都弁と江戸弁の両方を巧みに操った上に、両者の対比が歯切れよく演じられており、非常に聞きやすかった。後半の口三味線(?)の展開は先に出た川柳師匠と今昔の対比ができて面白い。寄席ならではの見え方。
春風亭小朝師匠の弟子とのこと。

お次。五街道雲助師匠。川柳師匠といい大師匠を二人も観れるのはうれしいものだ。
演目は「町内の若い衆」。この噺は下げに独特の臭みがあり、苦笑するしかないような代物だが、恥じらいを失ったお婆ちゃん方には受けていた。長時間の観劇にこういう軽いネタはちょうどいい。口調は彦六師匠そのもの。金原亭馬生の弟子。

これまで出ている落語家を見ていると、彦六師匠、志ん朝師匠の影響が大きいような気がする。

膝がわりは林家楽二。紙切り。正直いって一番笑った。
紙切り技術もさることながら、トークがホントに面白い。それに、よくもまああんなにはさみを動かしながらしゃべれるものだ。切り終わった紙をOHPで舞台奥の壁に投影するのははじめて観た。以前は黒い下敷きに添えて見せていたと思うが、この方が大写しになってよい。
切ったのは「ももたろう」「かみきりげいにん」「ふじむすめ」「ぼんおどり」。「ももたろう」以外は客席からの注文である。「かみきりげいにん」は「ももたろうを切っている紙切り芸人」として「ももたろう」まで合わせて切られ、その精緻さは館内の度肝を抜いた。はさみのテクニックもすごいけど、注文を聞いて一瞬で切るべき構図を決めちゃう判断力・想像力もすごい。
「ふじむすめ」は紙切りの定番だが、これ注文した人が若い男性だったから、御身内が客席にいたのかな……なんて思ったりして。「ぼんおどり」は「こうのとり」を聞き違えて切って大わらわ。
客席を大いに盛り上げてトリにつなぐ辺りは流石。

主任は古今亭文菊。演目は「井戸の茶碗」。坊主頭でほっそりしており、白い着物を着ていたからお坊さんみたいにみえた。昭和54年生まれの35歳。若い。
シーン展開の多い話を一見乱暴につなぎながら、それでもしっかり聞かせていく辺り、アグレッシブで心地よい。アクションが大きくて分かりやすい。女性の声音がやたらと艶っぽい。ちょっと声色を使ってるかなと思った。それまで一人15分のところ、トリは30分くらい。古今亭圓菊師匠の弟子。

こうして私の寄席デビューは終わった。満足じゃ

昼席が終わったのは16:30ごろ。鈴本は総入れ替えで一時間後に夜席がはじまるが、新宿は入れ替え無しとのこと。ガチのマニアになるために、次は新宿で昼夜をぶち抜いてみたい気もする。

 

2015/04/13

電子書籍をタダでバラまいたことの備忘録

備忘録程度に書き留めておいてやる。
隠しゃしないから、見たい人は見るならみろ。

なんでこの件を扱おうと思うと口が悪くなるのかね?
たぶん、ココロのどっかで教えたくないというのがあるのかもね。

さて、KDPの件である。

しっかし、前にKDP絡みの記事を書いたのがもう2年も前とはな。
早いものです。【前回の記事

今回申し上げるのは、「無料キャンペーン」について。
これは結論として、やるとよいと思う。

そもそも何で無料キャンペーンに手を出したのか。
そこから話をしよう。
分かんない人は、おいてくよ。

私の場合、アマゾンに本を出していることすら忘れていたほどだった。

全然売れないし。売れても煙草代ぐらいだし。
そもそも煙草はやめたから、もはや何の足しにもならないし。

ある時、KDP出版していたハウツー本の分野について、個人的にちょっとノウハウがたまってきたので、元版に追記しようと思った。
で、書き足すんなら売ってる本も更新してみようという気になった。

そこで、久しぶりにKDPのアカウントページをひらいてみると

……まあ見事に売れてない。

売上を示すい折れ線グラフが折れていない。
下をずっと這っている。これじゃ這い線グラフじゃねえか。
ちなみに……
売れないなら外せばという人、いるだろうね。
でも、そうわいかんのよ。
「本を出している」ということ自体が、パーソナルな価値を上げてくれる局面を、すでに十分利用しているのでね。
KDPは私にとって、広告媒体の一つです。
とにかく追記をして自己満足を果たし、折角だからちゅうことで、お値段据え置きの増補版をリリースすることに。

いろいろ設定をするにあたり、久しぶりにKDPのページを逍遥していたら、「無料キャンペーン」というのが出来るよということを知った。
無料キャンペーンとは
KDPオーナーライブラリに入らないとできない。
1日~3日の間無料にできる。
いつもはできない。90日は空けないといけない……とかとか。
くわしくはアマゾンのページを見れ。
ハウツー本をロハでまくのはどうかと思ったが、どうせほとんど売れやしないんだから、まあいいやということで、大盤振舞を決意。
リリース記念と称して3日間無料大放出

さあて、どんなもんかね?
と思っていたら......

出るわ出るわ。

出数を示すの折れ線グラフが日々ぐんぐん伸びていく。
つっても利益はゼロ。なんだかねえ。

結局、三日で約230冊が無料ダウンロードされました。
最終日には無料版のランキングで一気に総合7位まで到達した。
証拠写真を掲出しておこう。
上に壱萬円札、下にヲサム。
偉くなった気がする、俺。
――ぼかしてるけど、意味はない。

で、三日目の無料祭が終わった途端。

――ブチィッ Σ(゚д゚;)

と、まるでそっからちぎれたみたいにの折れ線グラフが下に。
他の色の線は、相変わらずの「這い線グラフ」だ。

「結局タダだから出てたんだよねと、そりゃそうだろうよ」
なぁんて思いましたよ。

それからというもの、

 翌日、ゼロ。
 翌々日、ゼロ。
 翌々々日、ゼロ。
 翌々……々日、ゼロ。

こんな感じが一週間ちょい続いたある日、アカウントページを覗くと……。

「あッ!」

売上を示すい線がピョコンと上に跳ねていた。
ようやく1冊ちゃんと売れた。
これは増補版リリース後、初の売上だ。

するとその日から、一冊売れ、次の日もまた一冊売れ。
KOLもちょいちょい出るようになる。
そして、そんな緩ぅい感じがしばらく続き、いまでは4日一冊程度普通に売れ、3日一件程度KOLが出る、という状況だ。

結局これはどういうことなのか。
いろいろ考えたり調べたりした結果、以下の二つが言えると思う。

  1. 無料の時に上位ランクすることで、それがアマゾン系アフィのアルゴリズムに乗っかって、ユーザーとの接触が増える。
  2. 売れるとランキングが上がるので、また売れる。

もっとも、2)は旧版をリリースした時にも同じことを感じた。1)に関してはどっかのブログに書いてあったのだが、なるほどそうだと思ったもんだ。

こういうわけで、無料キャンペーンはぜひやっておくべきだと言える。

放置していたら、一冊もでなかったことだろう。
出ても売上単価の安いKOLが、1,2冊ってとこ。

それを考えたら、大成功である。

ちなみに旧版は値引きして放置。何も起こらんかった。
近々こっちの無料をやってみようかと思っておる。
泥鰌二匹不在だろうがね。


さて、ちぃっと本が出るようになった私。
どう頑張っても万を稼ぐのはむりなことだが、欲が出ないこともない。

いや、たくさん売ろうとは思わん。

ただ、アメリカが30%源泉徴取するのが、我慢ならんくなってきたのだ。

これについては、またいずれ書こう。
IRSとのやりとりは、現在進行中なのでな。

 

2014/04/05

立川志の輔独演会にいってきた

2014年4月3日木曜日のことだ。
18:00開場18:30開始。
全国的知名度をいただいて平日にあててきたにも関わらず、鹿児島市民文化ホール第2は2階席まで満席でした。
ミーハーやなあ。
ざっと見渡す。中年女性が多い。ガッテン同様F3層がメインターゲットだ。

タクシーで18:40くらいに会場についた。10分遅刻だ。
会場後方の扉を開けてそっと中に入ると、ちょうど志の輔師匠が高座に上がったところだった。
しまった。
志の輔師匠の噺は長い。
全席指定チケットで前から3列目の芯という最高のシチュエーションを用意したにもかかわらず、一席目が終わるまで席につけない。いや、いいんだろうけど、人が話をしている前を横切るなんて野暮な真似は・・・・・・。
というわけで、会場後方の車椅子エリアで立ち見をする羽目になった。
後から聞いたところによると、一応前座が一席あって、饅頭こわいを5分くらいにした激ショート版をやったらしい。
短いなあ。前座ってふつう15~20分くらいあって、つまりそのくらい遅れて会場に入っても、前座の終わったタイミングで席につけるというものなのに。
ちょっと計画がくるったよ。

それにしても、前座さんのあと、志の輔師匠は1時間と1時間半の高座を2席やったわけだが、噺における労働時間で考えたら前座の方がよっぽど短いということになる。といっても、弟子というのもは、24時間「弟子」という仕事があるようなものなので、現在日本で最もチケットが取れないと言われる落語家の弟子ときたら、大変な苦労だろう。

聞きたかったですね。惜しいことをした。

さて志の輔師匠の一席目は創作「みどりの窓口」。
この人の創作落語は、小説家の清水義範の力もあってどれも非常に面白い。ネタが緻密で笑いどころも豊富である。創作と言えば最近六代目を襲名した上方の文枝の方が人口に膾炙するけれど、ロジックの好きな人なら志の輔師匠にいくだろう。もっとも文枝には文枝の良さがあるけれど。
「みどりの窓口」は以前にインターネットで聞いたことがあったので、その記憶と照らし合わせながら聞いていたのだけれども、後半の悪酔いするくだりに若干雑然とした感じがもたれた。しかし、もともと盤石なネタで、おもしろく、中入り後の二席目にも期待をつなげる一席だった。
いやしかし、明るくて華がありますね。これだけ華のある落語家は、現代では枝雀以来ではなかろうか。

中入―ようやく席につけた。
「トン、トン」の拍子から木賊狩りが流れだし、緞帳あがって高座をみると、これが莫迦に高い。箱馬を縦2つ重ねたくらいの高さがある。それがステージ上だから、客席床から1500以上あったろう。見上げるような格好だ。前から3列目でみていて、座布団は見えない。

まあよい。

黒い着物姿で下手からあらわれた志の輔師匠。
まくらをふらず、いきなり「サダや」ときた。二言三言のやりとりで「百年目」であることがピンとくる。
すぐに客席全体にピンときた雰囲気がただよって、さすが平日にわざわざ出かけてくる客だけに、多少聞き込んでいる人間ばかりのようだった。
さて「百年目」。
この話はまちがいなく古典落語なのだけど、落語の話を分類する際、どうも分けようのない感じがする。
ものすごくおもしろいのかといえばそうでもないし、人情話かといわれても首をひねる。
よく「とたんオチ」とか「地口オチ」みたいにオチのタイプで分類するケースがあるけれど、この話のオチときたら「鼠穴」や「大工調べ」並みにくだらなく、しかもアナクロ。このようにオチで分類するのは、噺の本質を無視することになるので、ナンセンスきわまりない。
敢えて言うならば訓話か。経営訓と捉えれば、そうともとれるが・・・・・・。でも社長向けではない。「番頭」のようにリーダーシップをとる人間の在るべき姿が提唱される話で、「旦那」という言葉の語源が語られるあたりは最大の山場だろう。
志の輔師匠、この話を淡淡と1時間半やった。前半は笑い多く、後半はたっぷり聞かせるように。
こんな風に書くととても素敵な1時間半に聞こえる。が、(後半お休みになられている方がちらほら)。
私の思ったことを箇条書きにすると
・志の輔師匠、太ったな。
・志の輔師匠、結構低音利くな。
丁稚のサダに「コメのメシがアタマに上がったってェのは、キサマのことだ!」と啖呵を切るところなんか、低音の凄みがあった。けれども人間ってあんな風にいきなりブチ切れるものかね。違和感がありました。
噺の展開を地の文でトツトツと語っていく調子は師匠談志そのものだ。だが志の輔師匠には、談志にはない華がある。おもしろくて、クリーンで、なんだか落ち着くキャラクター。それはもしかしたらテレビのイメージなどが助けになっているのかもわからない。だから平日でもこれだけの人が集まるのだろう。

それにしても、「百年目」は1時間半もかけて聞ける話じゃないなあと。せいぜい45分くらいじゃなかろうか。
18:30スタートの落語会、きっとみんな「終わったらごはん食べて帰ろうかね」ですよ。
人情噺を語って会場をシーンとさせたら、いたいけな中年女性は腹の音がなるのをいかに隠すべきか。

あとから主催者の人に聞いたら、師匠は何も食べずに上がったらしい、けどさ。

カーテンコール(?)では「こんごともガッテンをよろしく」を連呼していましたけど、民放主催の落語会でしたよ。

2014/01/05

2014年 明けましておめでとうございます。

新年、明けましておめでとうございます。

平成26年がスタートしました。
本年も、これまでどおりの、あるいはこれまで以上のご愛顧を宜しくお願い申し上げます。

みなさまはお正月を、どのように過ごされましたか。
ご家族・ご親戚とご一緒でしたか?
あるいは、恋人・ごく親しいお友達・ご近所のみなさまと?
大切な方と節目を過ごされることは、実によろこばしいことです。

中にはお仕事で職場の方々や、お客様とご一緒だった方もいらっしゃることでしょう。
それはそれですばらしいことです。

常々思いますに、わたくしたちのすむ日本では、昔から「節目を誰と過ごすのか」ということに、重きがおかれているような気がいたします。

たとえば、若者の間では【クリスマスイブは恋人と過ごすもの】という俗習があります。
クリスマスイブに同性同士で誘い合うのは野暮な行為として嫌われています。恋人同士の場合、事前に納得のいく説明をしておかない限り、当日の夜に別の予定を入れてしまうことは、今後の関係に齟齬をきたす原因になりかねない、極めてデリケートな一日です。

お正月の場合、お盆も同様ですが、何においても血縁での寄り合いが重視され、恋人や友人と会うことは二の次となります。
にもかかわらず、恋人同士の関係が成熟期に至った場合にしばしば聞かれる「今年の元日はカレシの実家で過ごしました」「カレママとお雑煮を作って~」という状況は、当人が家族の一員として認められていることを半ば証明する、まことに晴れがましい風景です。

逆に申しますと、「お正月はどうするの」と尋ねて「帰らない」あるいは「帰れない」という返答を聞かされた場合、その理由は様々あるでしょうけれども、一切の予備知識を排して耳にするその言葉の深奥には、誰しも寂しさと好奇心を禁じ得ません。そして多くの場合、直後に「え? どうして?」「何? 仕事?」といったお節介な質問をほとばしらせ、不愉快なコミュニケーションの空隙を埋めようとします。ですが、それは緊張した(かのように思われる)関係を、ひとまず防衛しようとする本能に近い行動です。罪はありません。しかしなんと後味の悪いことでしょう。

クリスマス・お正月・・・・・・このように、わたくしたちの社会は節目によって誰と過ごすかを限定しようとします。それはまるで節目々々に人間関係を再確認するかのようです。うまくいけば、従来の関係がより固い絆になりますが、悪い場合、ボロが露見したり、コミュニティから除外したりされたりします。
こういった社会の仕組みの中に潜在的に組み込まれた関係浄化、すなわちコミュニティの再構築作用を、わたくしは「ヒエラルキー・リロード」と呼んでいます。勝手に呼んでいます。いやはや、実にいやらしい見解です。

わたくしたちは誰もが何かしらのヒエラルキーに属して生きています。属性は上下関係のように思われますが実は質的な違いであり、各属性は絶えざる交流の中でつねに位相を変えながら時間にそって遷移してゆきます。その中には三竦みのような循環型の関係性(たとえば「部下の父が大学の先輩」など)、その関係により波及する矛盾状態など、単純に違いを線引きできない関係が多々あります。
わたくしたちのヒエラルキーは、日常の気づかない間に、こういった矛盾により摩耗していきます。
この摩耗をいったん回復させるのが、節目なのです。

節目によって回復したヒエラルキーは、社会全般の関係を浄化すると同時に、個々人の剥がれおちつつあった「日常」というリアリティを修復します。節目を経て回復したヒエラルキーに、わたくしたちがひさかたぶりに帰還したとき、懐かしさと同時に何とも言えない新奇さを覚えるのはそのためです。刷新されて以前と違う「以前のまま」を体験しているわけです。

しかし、どんな節目が押し寄せようとも、摩耗するばかりで回復できない関係があります。

それは「個」の関係です。

あなたを見ているあなたがいます。そのあなたも、あなたに見られています。

わたくしたちの社会において、個人のリアリティは、その個人がヒエラルキーのどの層に位置するかで判断されがちです。しかし、実のところ、そんなものは社会を前提としたリアリティであり、個人が個人自身との関係を見つめなおす場合、なんのよりどころにもなりません。

じゃあ、何をよりどころにするか・・・・・・。

あなたのリアリティは、どこか高いところからあなたを見つめていて、なにかあったら守ってくれるような強さを持っていますか?
 ―いいえ、もっていません。そんな義理すら証明できない。

あなたのリアリティは、あなたのかけがえのない恋人のリアリティと互換できるものですか?
 ―いいえ、できるものか。恋人は相手のリアリティを相手以上に持っている。

あなたのリアリティに、あなたはどう向かい合うべきか・・・・・・。

「ねえねえ。リアリティおじさん、おしえてよ」
「『おまえ』が『おまえ』を生きるのに、正月もクリスマスもねえんだよ」

手をとりて ともにのぼらん 花の山

2014年の皆様方のリアリティが益々佳キ花となりますことをご祈念もうしあげ、年頭のごあいさつとさせていただきます。

2013/08/06

つまのこと


かつてぼくにはつまがいた。
そのひとはとても強がりでまけずぎらいで頑固で、だけどとても臆病で、ひといちばい繊細で、葦草のように弱かった。プライドも高くって、いつも無茶な背伸びをしようとした。ぼくはいつも、無理するなよというのだが、すでに仕事などの方面で無理して背伸びをするからこそ手にできる成果をいくつも持っていた。だからつまは地に足がついていた。かたやぼくはふわふわ生きていて、しばしば強く諭されたものだった。
でも思う、その生き方はつらかったろうと。ぼくはつまから、つよさとはよわさから生まれるものだとおしえられた気がする。

つまにはとても友人がおおかった。
10歳以上先輩もいれば、社会に出たばかりの若芽のような人もいた。みんながみんな、つまに話を聞いてもらいに家にやってきたので、ぼくもだいたいのひとの顔をおぼえた。友人たちはみな、人目をはばからず涙をながしたり、怒ったり、笑ったり。それらすべての忙しい感情を、つまは友人たちとともに分け合い、慰めあった。友人たちが帰っていくと、家は静かになった。そういうときはいつも、つまはなんだか疲れてカーペットの上に横たわり、そのまま堕ちるように眠りについた。ぼくは毛布を掛けてやりながら、つまは友人の業を肩代わりして疲れたんだなと思った。つまはぼくの友人にはほとんど会うことはなかった。そのことは正直少し残念だったけど、これ以上他人の業に疲れさせたくはなかったし、ぼくの友人の業は、ぼくが引き受けるべきだろうし。

得手不得手で言ったら、つまはつまであることに不得手だったかもしれない。
ただ、つまであろうとすることにかけてはものすごくストイックで、いつもながらぼくは無理するなよと言っていたのだが、もちろんそれを鵜呑みにし、はいはいと聞くような人ではなかった。結局無理をして無茶をして、ぼくが感謝できる理解の範疇を大きく超えて、意は天を貫かず(夫という字は天を突き抜けている)、むすっとする。で、しばらくすると、むすっとした自分に自己嫌悪する。
ぼくとしては、結果如何に関わらず、がんばる横顔だけで合格だったんだけど。

つまはなんだかんだいって普通の女の子だった。
おしゃれだったし、アクセサリも服もいっぱい持っていたし、おいしいものに興味があったし、休みの日にどこかに行くことを考えるのが好きだったし、かっこいい男性が好みだったし、親を大事にしたし。ぼく自身はいい加減な人間なので、こういったつまの見識に叶う点は我が身にひとつも見当たらない気がするのだけど、それでもつまはつまになってくれた。なんでだろう。
とにかく、つまは普通の女の子だった。

つまには生きるということを教えてもらった。
人の世は生老病死というけれど、ほんとうにつらいのは愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦、つまり、十全に生きながら味わうものこそ苦しみであると教えてもらった。死そのものは何も生まないし何も奪わない。ただし見えないところで、つまりその状況に立ち会う人々のココロの中で、数値のあらわれぬ取引が確実に行われる。現実は確かに無慈悲な収支を宣告するけれど、だけど必ず帳尻は合うようにできている。あまりにも若かった、と、人は言う。でも命は長さではない。濃さだ。濃いから短くとも帳尻があうのだ。ただそれを字面では分かっても心から理解できない人たちは、その短さだけをつかまえて悲嘆する。それは仕方がないと思う。だれもがそう賢くはなれないし、なる必要もない。それにどうがんばったって当事者じゃないと分かりっこない。知っている人が知っていればいい、そういう種類の智慧もあるのだ。
そういったことなどを、つまは身をもって教えてくれた。教えようと思って教えたわけじゃないだろうけれど、なにもそこまで無茶をして教えることはなかったろうと、今もって、思う。

ぼくがつまについて書くのは、これを最初で最後にする。
ぼくはいま、生きている。
生きて呼吸をして、今という時間を感じて。
人が生きて感じられることは、それ以上もそれ以下もない。
だからもう振り返るまい。そういうわけで最初で最後だ。
これからは、自分が自分らしく生きていくために、新たな徳を育み、よろこびを感じていく。

それだけだ。







2013/05/12

柳亭市馬独演会に行ってきた。

みなみホールです。
南日本新聞社が定期的におこなっているシリーズの何回目かが「柳亭市馬」師匠の独演会だったというわけです。
あそこに車で行こうと思うと、立体駐車場が狭くて暗くて、もう・・・。
ぎりぎり5分前につきました。
やっぱりじいちゃんばあちゃんばっかりだった。とはいえ、桂文枝公演・柳家花緑独演会の時よりは、若干若い人もいたような・・・今回はそれらよりもコアな落語会のような雰囲気ではあったのだが。

とはいえ、イベント自体5分遅れてスタート。
前座さんがでてきた。「柳亭市助」という30なってるかなってないかの人。
「たらちね」を演った。覚えることの多い前座咄ではあるが、多少の演技性を求められる内容で、とはいっても極端な人間像の表現だから、「金明竹」や「寿限無」よりはやりやすいのではないかなと。
福福とした顔でよどみなく滑舌よく喋るのだが、残念なことに言葉が言葉でしかなかった。彼の師匠の師匠は先代小さんだと思うのだが、彼はしばしば言っていた「たぬきを演るときはたぬきの了見にならなきゃだめだ」と。肝心なそれが全然でしたな。絵が見えたのは一箇所だけ。お嫁さんと八公のやりとりの中に一瞬だけいいところがあった。
15分くらい。

その後、市馬師匠の登場。黒羽織。「武士絡みだな」と。
御挨拶のち、師匠小さんの園遊会での話(昭和天皇とのやりとりはエピソードとして秀逸)や与太郎校長の話(これは定番だ)、そのあと本題の枕、酒の話。
落語に酒の話は多い。その枕は定番の都々逸「酒呑みは 奴豆腐に さも似たり 始め四角で 後はグズグズ」から始まって、上戸百態、知らずに親子、ここまで聞いてもまだ本題はわからない。市馬師匠も同様だったが、まさか「禁酒番屋」にいくとは思わなかった。すっかり「居酒屋」「一人酒盛り」あるいは「親子酒」「試し酒」かと。もっとも全身黒衣装だったから、どれもあてはまらないわけだ。
「禁酒番屋」といえば十代桂文治が思い起こされる。しかし話の内容から考えると、どうしても桂や林家の根多というより柳家の根多という感はある。
さて、市馬師匠、さすがこれからの江戸落語を牽引する貫禄十分。文句無し。
酔った雰囲気は柳家小三治にそっくりだった。
約35分。

仲入り挟んで再び市馬師匠。こんどは茶絣の羽織に薄青縦縞。なんとも粋な装い。
縁起の良い大根多「御神酒徳利」。
前半は三代古今亭志ん朝を彷彿とさせるテンポの良さ。全体のテキストは六代三遊亭圓生がベースになっている。それをほとんどいじることなく、むしろ多少そぎおとし、柳家一門らしいコンパクトさを醸していた。
45分くらい。

一箇所だけ、とちったなぁ。
稲荷大明神が「当家は大家である。四二番目の柱を三尺五寸掘り下げよ。さすれば一尺二寸の観世音が現れる」と言ったのに、「一尺二寸掘り下げますと観世音が・・・」と。あああ。

下げが圓生のそれと違っていた。市馬師匠のは、大阪から東海道、江戸までの道のりを七五調テンポで歌い上げ、終いは「それは稲荷大明神のおかげ」「なんの、嬶大明神のおかげ」というものだった。一方、この咄をかつて御前で演った圓生の下げ方は「家計は桁違いに良くなった。それもそのはず、そろばん占いでございます」。
咄全体を絡めた下げという意味では圓生の方が数段秀逸に思えるが、同行した落語仲間によると「商売や金の話で下げずに家族のことでまとめた市馬の方が優しくてよい」とのこと。そういう考え方もあるけれど、個人的には咄の全体の美を考えたとき、圓生の下げの方がすっきりする。
古典落語の下げの変更で成功した人間は、知る限り立川談志しかいないように思われる(とくに「居残り佐平次」)。江戸時代の社会や思想への造形が深く、高座と客席の間の空気を一席の内に感得できる落語家でなければ、かなり危険なアクションだと思う。だから市馬師匠の下げは、ふつうの聞き手には満足かもしれないが、すこし聞きかじっている人には煮え切らなさが残ったかもしれない。

いずれにせよ、柳亭市馬師匠。大貫禄だった。
この人こそ、今後の落語をひっぱっていく人だと確信した。

2013/01/27

柳家花緑独演会に行ってきた


柳家花緑…実はあんまりよく知らない咄家なのだが、チケットをさる関係筋に入手していただいたので行ってみた。場所はみなみホール。鹿児島の主力新聞・南日本新聞の社屋の4階にあるホールだ。めいいっぱい入っても400人前後。キャパ的に寄席に近いのじゃなかろうか? ちょっと後ろのセンターあたりに席をとっていただいた。ほとんど真正面。ある意味一番いい席だったと思う。隣席には懇意にしていただいている行きつけのお店のママ。鹿児島には数少ない落語通で、何かあったら物が言い合える。これ以上無いといってもいいくらいのシチュエーション。

どうも若手落語家というのは、先入観から引いてしまう。新作創作落語の一辺倒ではなかろうか、甲高い声で聞いていて疲れてしまうのではなかろうか…。とはいえ、花緑師匠は人間国宝五代目小さんの孫というサラブレッド。そしてさらに戦後最年少真打。期待しない気持ちと期待が持てる気持ちが相半ばし、なんともいえない緊張感があった。

15:30開演。前座は七番弟子の柳家緑太という人。相当若いと思う。古典の「やかん」を演った。花緑のコピーのような風貌・雰囲気で、本筋の下げまではやらぬものの、講談シーンもしっかりぶつけ、非常によくできていた。講談部分の見台見立ては膝上ではなく、談志のように床板でやったらよかったのじゃなかろうか。とにかく驚いたのは、前座にも関わらず大ネタをぶつけてきたところだ。18分。

それが済んだら花緑の登場。
本人としても、小さんの話に触れないわけにはいかないようで、まずは祖父の話。けれども、それをあまり大げさにはせず、少し長めの枕でたっぷりあたためて、一気にマイナー古典「鶴」、そのまま話を続けてひきつづき「夢金」。「鶴」は前座と話が突いている感が否めなく、聞いていて少し疲れたが、「夢金」はなかなか良かった。それにしても1時間しゃべりっぱなしでなんという体力かと。ここまで新作創作なしで、落語好きには堪らない流れ。

仲入り後、再び花緑が登場。出囃子は木賊刈で「すわ立川流?」。ネタは祖父小さんも演っていた、左甚五郎「竹の水仙」。仲入り前に古典ばかりだったので、最後は新作創作かと思っていただけに、これは個人的に喝采の展開。アクションを大きくして若さを発散するあたりは祖父との比較を乖離させるが、これはこれで非常に面白く、もしかしたら祖父の同題より笑ったかもしれない。約50分の口演。

ふりかえってみると、花緑師匠、結構マイナーなネタをやってくれたなと。鹿児島は8回目ということで、ネタ選びも大変だろう。私は初めて行ったものの、客の幾許かは本寄席の常連と化しているわけで、そういう人にはメジャーな話ではもう物足りないかもしれないという配慮があったのだろう。そう言う意味で良いチョイスだったと思うが、個人的には「厩火事」とかも聞いてみたいなと思う。そういうふうに思えたということは、聞いて良かったという感想の裏返しか。

終わってから行きつけ店のママと、お店の常連の若い男性を一人呼び出して屋台村に。鹿児島には屋台村ってのがあるんですよ。ふるさと屋台村ってのが。飲んだ飲んだ。振り返ると先週の火曜あたりから毎晩かなり飲んでるなあ。
そんなわけで、今もこのブログをほとんど酩酊状態で書いている。別に面白いエッセーにしようとは思ってないよ。日記だ日記。どうぞ勘弁。

2012/12/17

桂三枝改メ六代目桂文枝襲名披露公演に行ってきた。

桂三枝改メ六代目桂文枝襲名披露公演に行ってきた。

場所は鹿児島市民文化ホール。
客席はほぼ埋まっていた。
数寄者爺さんとそれについてくる婆さん、といった組み合わせばかり。
中年女性も多かった。友達連れみたいなのが。友達と観るなら、月でも宝塚でも落語でも何でもいいみたいな人たち。
若い人はほぼ皆無。
客席をぐるりと見渡すと、98%くらいの入りか。
主催者側が頑張ったんだと思う。かくいうわたしも「お願い」と言われ2割引でチケットを買った。
普段だったら「上方・創作」を聴こうとは思わないわたしだが、買ったからには行こうと。

だいぶ昔から落語を愛してきたが、ホール落語を観賞するのは初めてだ。
今年の9月末に花月の通常興行を観たものの、色物ばかりで落語は中取一席のみ。月亭八方師匠。しかも割り当てが15分くらい。とてもまともに観た気はしなかった。
この日の興行は「落語の襲名披露」。観た気がしないなんてことはないはず。
しかも今回はホール落語といっても独演会ではない。
襲名披露公演だ。
だからより寄席に近い雰囲気なのではないか。
・・・そんな期待をしていったわけだ。

開口一番は桂あやめさん、という人。
女性落語家はめずらしい。という話を枕にもってきた。
そして「古典落語」は女性が主になる話がないということも。
厩火事とかあるじゃないか。やりようの問題じゃないか?
化粧品売り場の様子をやっていた。ジャンル的に粗忽系。
まあおもしろかった。ちょうど20分。

次に出てきたのは桂三歩という人。
産院で子供が生まれるのを待っている中年男の話。
文枝の弟子らしく心理描写系の創作。
まあまあおもしろかった。
15分くらい。

中取は、なぜか関東落語の重鎮・四代目三遊亭金馬。
演目は古典「試し酒」。
どうも間をつくらない話をする人だと思っていたが、演目中の酒を飲む仕草のおかげでいい間がとれていて、聞きやすかった。
名人上手かどうかはさておき、やはり現役落語家芸暦最長。
前の二人とは貫禄が違った。とてもよかった。
お年がお年だから、存命中に聞けてよかった。25分くらい。

<中入り>
中入りというのは休憩のことね。

休憩あけて襲名の口上。
緞帳があがると、舞台は上から下手まで横渡しに緋毛氈。
その上に座るのは、下手から桂きん枝・三遊亭金馬・6代目文枝・今くるよ・今いくよ。
舞台正面には赤地にでかく「Hotto Motto」の懸垂幕。目がちかちかしたよ。
だいたいそもそも「KKB鹿児島放送開局30周年興行」なのに、ホールの緞帳にでかでかと「MBC南日本放送」って刺繍されている。鹿児島市民文化ホール第2の緞帳は昔からそうなってるんだから分かりそうなものを。たしかにKKBの局からは近いけど、もっと場所を考えたほうがよかったんじゃないか?

相撲や歌舞伎と違って落語の襲名披露はそんなに堅苦しいものではない。
ゆるいトークショーのような感じだ。
普段落語家は一人で出てきてしゃべって帰っていく。
複数の落語家が一度に出てきてしゃべくりあうのはめずらしく、おもしろい。
もっとも、日本テレビの大喜利番組のせいで、そういう絵柄が珍奇なものだというイメージは世間にはないだろうけど。あれは本来は、余興なんですよ。余興。

取り前は漫才。今いくよくるよ。いまだにどっちがどっちだかよくわからん。
なにかネタをやっていた。よく覚えていない。というのも、皮肉なことに、ぜんぜん違うことでウけていた。
肥えている人の方の大げさなドレスが途中で壊れたようで、下の方のフリルがずるずる落ち始め、それを間一髪で支えようと吊り上げる動きが爆笑を誘っていた。「もしかしたらこれもネタなのかな」と思ったが、どう観てもそうじゃないようだった。なんとか自分たちのネタを続けようとしていたから。
でも最後には、ドレスの腰のフリルが全部ずるりと床に落ちてしまい、ふたりともあきらめてそっちの方で話し始めた。
アクシデントがあっても笑いに持っていく力量はプロだなと思った。

大取りはもちろん六代目桂文枝。
有名人だからね。間をおくだけで笑いがおこる。まさに三枝タイムだった。テレビで顔を売った落語家はみんなこうなる。談志も円楽も円蔵も。そういうのもいいのかも。
ネタは、熟年夫婦の夫側の悲哀みたいなもの。これはあまり熟年夫婦は一緒にみたらいけないかも。喧嘩の引き金になる可能性大だ。笑ったら相方に怒られそうな気がする。
しかし師匠、さすが面白かった。創作落語の世界では間違いなく現代の名人である。だからなおさら古典を聴いてみたい。

最悪だったのは帰りだ。
鹿児島市民文化ホールの駐車場は完全にカオスと化していた。
他人のことなど考える余裕も利かす気も失せた狭視野の老人たちの車が、一箇所しかない駐車場の出口に向い、放射状に大挙し、駐車場の白線など関係なしに前へ前へ。つまりあってお互いがにっちもさっちもいかない。窓越しにガンを飛ばしては反らしあう陰険な眼。車同士は2センチ間隔くらいに寄せられ、横から紙切れ一枚挟ませない勢い。上空から見たら鰯の群れのようだったろう。
誘導もいない。これはいけない、事故につながるよ。
わたしの車は出口のすぐそばに停めていたのだが、トイレにいってから駐車場におりたため、車のエンジンをかけたものの、まったくもって動きがとれず、鰯の群れを横から眺めているしかなかった。
駐車場から出るのに30分以上かかった。
親切なおばちゃんがいて、「どうぞ」ってやってくれなかったら、あと20分くらいは残されたことだろう。

年寄りの多い観劇は、ぜひ公共の交通機関で。

2012/11/22

またこんな風邪ひいた心境

南無薬師如来
南無大日如来
南無諸仏諸天神

畏み敬って白さく

「摩訶此那風邪引他心境」

 此度風邪 徐々癒治
 思出過去 前数年事

 朝起眼擦 喉痛鼻垂
 頭呆口乾 自覚我熱
 身起目眩 見時唖然
 顔洗歯磨 衣替靴履

 家出鍵閉 意識朦朧
 歩足千鳥 目指電停
 不可思議 煙草着火
 咳咳々々 莫迦自我

 到着会社 打刻時券
 上司来云 帰故移菌
 無念至極 不評我労
 帰謂千里 呆然自失

 諦念落涙 出会社独
 嘆息手伸 上衣服袋
 取出煙草 着火先端
 喫而爆咳 無謀無顧

 喉裂胸痛 鼻水迄射
 落涙落胆 顔面浸浸
 往我背後 無観何人
 孤独独歩 寒風背推

南無流行性感冒
南無扁桃痛
南無鼻炎
南無花粉症
南無諸病諸症状

ちーん(鼻をかむ音)

 

2012/10/04

永平寺でも、私は私の他人でした。

永平寺は曹洞宗の本山のひとつ
先日、曹洞宗の総本山である吉祥山永平寺に一泊体験宿泊をした。
そのことについて書くことにする。

とりたてて書く事などないのだけど、何か書かないとせっかく行った旅行がどんどん記憶から消えていくのはもったいないような気もするし、このブログもほったらかしになってしまう。
このブログなどどうでもいいんだけど。
そもそも誰が見てるというの?
いったいぼくは、誰に何を発しているのだろう。


以下、雑な文章ですみません---


簡単に曹洞宗と永平寺について説明しよう。

曹洞宗というのは鎌倉時代に興った禅宗のお寺で、道元という人が開祖で、永平寺はその根本道場として福井県の北の方に建てられた。そこには雲水がいて、今現在も厳しい戒律を守って生活をしている。

以上。

ほらね。あった。
これ以上詳しく書くと、件の宗派と元来の仏教との間の差異がどんどん広がってしまい、いろいろと、云々だから、やめておこう。
誰も得をしないのだ。

さて、ぼくがいった永平寺は、伊丹空港からバスで4時間くらいのところに、たしかにあった。中学生の頃読んだ教科書が間違いではないことが分かった。

大晦日の『ゆく年くる年』でよく大写しにされる、真っ白な雪に半ばうずもれた永平寺のゴーンという鐘の音。ああこれは、わけいってもわけいっても山というとんでもない場所だろうと思っていたが、普通の温泉地のような門前町を抜け、参道のすぐ前にバスは停った。停ったのだ。案外すぐのところに。
電気もあればガスもある。携帯電話も通じるゾ。


■たてもの

宿泊施設のある建物は、きっしょうかくとか言ったと思う。
入ったらくつ箱ロッカーがずらぁーとならんでいる。傍らにスリッパがあって、そっからさきに、リノリウム張りのフロアがひろがっている。天井は蛍光灯だ。昔、鹿児島の百貨店「山形屋」が店内照明に蛍光灯を導入した時のコピーに「昼を欺く真珠の光」というのがあった。これは個人的にすごくいいコピーだと思うのだが、まあ、永平寺のフロントも、蛍光灯だ。大衆浴場の土間のようなかんじ。

ほかのところは大層年期がいっている。文化財だし。いいと思った。
法要をするところは大変に薄暗く、トリ目の私は非常に困った。綺麗な仏具がいっぱいあって、僧侶がたくさんいた。いっぱいいてガランとは、これ如何に? 


山門の上にかかる額
山門はすごいな。修行に入る時と、修行を終えて下山する時しか通れないとのこと。
同行のおばちゃんが入口をうろうろして、早速怒られてたよ。
勅使門というのは、勅使と天皇陛下しか通ってはいけないらしい。


廊下が縦横に走っている
山の斜面につくられた寺だから、建物の位置関係は東西南北はおろか上下もまちまちだ。それらはすべて屋根付き階段廊下でつながっている。でも、山の斜面はでこぼこしているのだ。そう簡単に回廊をわたせるもんじゃなかろうがなあと思っていたら、どうやら回廊は天井からつくっていくらしい。おそらく勘の鋭い職人中の職人がつくるのだろう。これはすごいと、思ったよ。


■うんすい

雲水はわかい。みな非常に若い。二十代前半ばかりだろう。
そして、非常に眼鏡が多い。なぜだろう。
とても痩せている。
そりゃそうだろう。とにかく食事が少ない。成長期にここにきたら、成長は止まるだろう。
それにしても、若い人が多いな。若いのに、ここまで執心できるとは。
かくも多様化した世の中で、何かひとつを信じて生きるというのは、並大抵のアレじゃない。
どうしたんだろうね、どうしちゃったんだろうね。
聞きたかったけど、聞けなかったこと。
どうしてここにきて修行しようと思ったのか?
なぜほかではなく、ここなのか?


■できごと

あったことと言えば、風呂・座禅と法話と食事くらいだったな。
三時に入山してすぐに風呂、そして食事・坐禅、法話。
9時に寝て三時半に起床でした。
夜中に煙草を吸おうと宿舎からこっそり出ようとしたが、巨大な鉄の門扉が降りていた。雲水にじろりと睨まれたが、えへと微笑んで煙に巻いた。ほんとは巻くのじゃなく、吸いたかったのだが。それにしても、煙草なしはしんどく、苛々した。関西では「いらち」というのだな。
起きたらご法話。法要。そのあと、眠い寒いひもじいのに、寺の中を歩いて見て回る。

もちろん肉はない
食事は写真を参照のこと。
これは朝食だが、夕食もそんなに変わらない。
ちなみに左下は米だ。中身は直径10センチ五ミリ厚。
なにもかも冷めている。冷めている。
食事はすべて皿を両手でとって食べないといけない。これで結構時間がかかる。
だから量は少ないんだけど、ゆぅっくりいれるからなんだか満足する。
とはいえ、絶対量がないから、そんな満足は幻。
45分も経てばお腹がぎゅるぎゅるなるよ。
胡麻豆腐はおいしかった。

一日目に話をもどすけど、座禅はいいと思った。生活にとりいれようと思う。
坐禅のやり方は、自分で行って体験してください。
ちゃんと方法があるのです。

法話は、眠さと空腹で・・・なんか言っていた。ぼやりとしていたけれど、ためいきもわらいもおこらなかった。おはなしにヤマはなかったようだ。山なのに。


■しゅうきょう

禅宗というのは、日本の宗教史からすると若い方の宗教といってもいい。
宗教史を紐解くと、時代によって宗教の役割がちがう。
飛鳥・奈良などというのは鎮護国家。国のための宗教。平安仏教は貴族など上流階級の宗教。鎌倉にきて現世利益の庶民の宗教。
時代の境目にはその都度留学僧が何かも持ち帰ったりと、発展の契機がある。
禅は鎌倉時代に起こって、どちらかというと武家さんの宗教のようだ。そこには「なんまんだ」というだけで救われるという安易さはなく、すがれば助かるという甘えもない。とにかくうちこみ、禁欲し、徹底的に自己の内面を極めようとする。
ここから派生した文化は多い。
茶道や花道もそうだし、建築様式もそうだ。文化と密接なのはいまでも同じ。
あの大エネルギーを生み出すマシンの名前をつけたとかつけなかっただとか、弥勒も文殊もいまでも活躍している。稼働は怪しいが。

さて、この禅の持つストイシズム。一見隔世の清らかさを見るようだが、実際によぉく考えてみると、あれれと思うことがいくつもある。
多くの宗教は衆生救済という。そして助け合うこと、互いを内なる佛の光で照らし合うことを説くが、この宗教は修行をした本人しか救われないのではないかと。大乗仏教じゃあないわけだ。慈善活動アレルギーの日本にあって、なかなかどうして。しかし、東南アジアにいくと、民衆は僧侶や寺にどんどん寄進する。つまりそうやってカルマを落とそうとする。金持ちはものすごい額を寄進する。だから金ピカの寺がどんどん建つ。日本の托鉢にもそんな雰囲気を感じているのだが、日本の彼らにささげることでカルマは落ちるのか? そもそも日本の仏教にカルマの思想があまり目立っていないから、ただ差し上げているだけのような気がする。まあ、いいんだけど。

えらく戒律がきまっている。何をするにも、だ。
ものの考え方、行動すべてが決まっている。
本来無一物、ではないのか。
ほぼ、ドグマ化している。

八大入覚というのがあって、いわゆる八正道が下敷きになっているようだが、違うようなのが一個入っている。「不戯論」というやつ。どう言う意味かというと、くだらないことを言うなという意味だ。
じゃあ、問答できないじゃん。弟子の立場で何かいったら、全部おっしょさんが「不戯論」で喝破できる。×0(かけるぜろ)になってしまう。
こういうと、また「それは違う」とか「それは認識が足らん」とか仰られるんだろう。
そりゃそうだ、一日しかいなかったんだから。
でも、中途半端に情報を出すから宗教禅は誤解されがちなのだ。
ネット上で結構酷なことを言われているのは、ほとんど曹洞宗。まあ、ネットだしね。どうでもいいか。あそこの人々は、ネットはやらない。実際永平寺には公式サイトがない。もうひとつの総本山である総持寺には立派なのがあるけれど。


半日ぶり、煩悩の味。くらくらきた
■そうかつ

永平寺は観光で訪れる場所ではありません。
ここは自分をみつめなおす修行を行うところです。
行楽気分で訪れることは絶対にやめてください。

これでいいですか?禅師様。

2012/09/19

悪寒

 


「悪趣味な者に技術が結びつくと、これより恐ろしい芸術の敵はない」




欠伸。



俺が僕に云う。
「書けば書くほど中身のない文章ばかり書いて、変に小気味よい書き方ばかり覚えて、そのくせなんだ、挙句の果てはこんなもんか。下手くそ。一文字書く度、芸術が穢れるわ。死んでしまえッ!」

と、今日もヘロヘロになって今日を死ぬ。

たぶん明日も目が覚めるよ。





 

2012/05/17

小唄・金柑漬浮世問答「きんかんづけうきよもんどう」

〽ならぬ堪忍 せぬが肝心
 一度切れりゃあ 戻りはせぬよ
 堪忍袋の 緒に替えは無し

 (囃子:尾のあるうちは まだ猿もどき)

〽飯はまだかと かしまし親父
 うぬが稼ぎで お釜が開くか
 毒を盛られて 逝くよりマシぞ

 (囃子:墓ン中でも夫婦(メヲト)はつづく)

〽耄碌爺に 耄碌婆
 ケチを因果に 長生きするが
 年金手帳は 放しゃせぬ

 (囃子:地獄の沙汰も金次第)

〽極道娘が 極道連れて
 飯の頃合い アメ車で参上
 閼伽児(ヤヤ)が出来たと 向こう見栄

 (囃子:産まれりゃ馬鹿でも可愛い孫よ)

〽命短し 恋せよ君と
 募る陰間の 秋波知れば
 夕陽の翳りも 旭日に見える

 (囃子:五十路の操じゃ質入れできぬ)

〽春は桜で 夏向日葵で
 秋は紅葉で 冬は寒梅
 酒呑み仇にゃ 色気が足りぬ

 (囃子:四季で呑む酒、死期を飲む酒)

〽まこと真面目に 勤めた人生
 御釈迦様でも 涙に暮れよう
 吾が鼻紙で 御拭い候

 (囃子:云うはタダ也、南無阿弥陀仏)

〽産まれ呪って 若さ見過ごし
 老いを恥じらい 死におののけば
 無知に揺られて ハイそれまでよ

 (囃子:酸いも甘いも苦いもあるさ 人生なんざァ金柑漬けよ)

 ※くりかえし


2012/03/30

青柳さんのドッペルゲンガー

江東区のゲーム会社に勤めていた頃のこと。もう十年以上前のことだ。

とあるアドベンチャーゲームのバグ取りを社内で二日連続泊り込みでやらされ、身も心もぼろぼろになっていたら、早朝に先輩が「今日は昼にあがっていいぞ」と。それで昼過ぎになり、帰り支度をしていると、青柳さんという先輩が声を掛けてきた。「あんたはまだ東京に来て日が浅いから、はやばや社宅に帰ったって、何をしていいかわからんだろう。近くに図書館があるから行ってみなよ」。そう言って青柳さんは社宅から図書館への簡単な地図を書いてくれた。
「青柳さんは今日は通常勤務ですか」ぼくは青柳さんもバグ取りで何日も帰っていないことを知っていた。
「おれは」青柳さんは引きつった笑顔で首を振った。「夕方までいるよ」

社宅に帰った。図書館に行こうにも徹夜ですっかり疲れていたので部屋で昼寝をすることにした。寝る前に部屋の窓から外を見た。まだ明るい。そりゃそうだ、昼さなかだ。眼前には公園が広がっていた。公園の敷地のむこうっかわに、男の人の行く姿が見えた。目を凝らしてよく見ると、青柳さんだった。
「あれ?」
青柳さんは暗い顔をしてうつむいてトボトボ歩いていた。
「夕方までいるのじゃなかったかな」
遠くに見える青柳さん。今朝と着ているものが違っていた。
とにかく疲れていたのでぼくは眠った。

夕方に目が覚めて、図書館に行った。
平日なので、利用者はほとんどいなかった。ぼくは初めて訪れる図書館の中をうろうろして何かおもしろいものがないか歩きまわった。
ふと、林立する書架のずっと奥に、一人のひょろっとした人影が見えた。
「あれ?」
青柳さんだ。やはり暗い顔をしている。うつむいている。さっき部屋の窓から見た服装と同じだ。
青柳さんは力なくゆっくりと歩を進め、やがて書架の影に消えた。
ぼくは早足で青柳さんがいたあたりへたどりついた。あたりを見回したが、青柳さんの姿はなかった。
「???」

夜になった。ぼくは社宅に居た。
部屋の外でドタドタ音がする。しばらくすると、勢いよく扉がひらき、満面の笑みの青柳さんがあらわれた。
「いやあ、終わったよ、バグ取り。すっかりハイテンションになったよ。おい図書館へは行ったか?」
上機嫌の青柳さんは、ちょっと飲んでいるようだった。服がズボンからはみ出てみっともない状態になっている。その服は、夕方図書館で見たものと異なり、今朝と同じものだった。
「あれ、れ?」

青柳さんは今日一日会社にいたと言う。

今はどうしているのか知らない。

以上、実体験です。

2012/03/24

婚活パーティー、に行ってみた。

婚活パーティー、に行ってみた。

しかも一人で。

不謹慎の誹りをまぬかれない。3か月経ってないんだからね。

でも、まさが自分が世に流行りの「婚活」というものを体験することになるとは。
そんな機会はないだろうと思っていたから、8割の好奇心と2割のストレス解消気分で行ってみた。

40人くらいいたんじゃなかろうか。
男女比は半分くらいだろう。ちょっと女性が少なかった(主催者発表)。

20:00から23:00まで。3時間。長いとは思わなかったな。

5分くらい遅れていったのだが、まだ始まっていなかった。でも、大方集まってはいた。集まっているのに始まらない。このへんの微妙なゆるさが独身者たちの独身者たるゆえんか。まあ、主催者あってのことだから、そのへんの事情もあるだろう。遅れていった自分がどうこう言えるものでもない。

なしくずしてきに乾杯があって歓談となった。こういうのはいいと思う。乾杯なんてのはどうでもいいのだ。きちっとやったってやらなかったって、だれもそんなの期待していない。「細かいことはどうでもいいから、はやくコミュニケーションチャンスを与えてくれ」という婚活者たちの気分とマッチしている。

10分くらいいたら大体分かった。ゆるーい気持ちできている人と、マジな人とがいる。後者は5人くらいか。そういう人たちはそれなりに年齢がいっていたから気持ちがわからんでもない。
互いに情報皆無な状態で会うパーティーだから、第一印象はカオしかない。人間、カオじゃないとはいうが、30前後ともなると人格がカオに出てくるものだ。だから、カオがあんまりいけなくてマジでガツガツしている人は、もうみんなに半ば煙たがられて、「明日なき戦い」だ。それでもこういう場にやってくるのだから、そこにはもう憧憬ではなく尊敬の気持ちが先に立つ。立っちゃう。本当に失礼な言い方かもしれないが、可哀想と思った。政府は富の分配に気を揉んでいるが、こういった機会にも政策がいるのじゃないか?

司会者のアジテーションがすごい。女の子がつまらなさそうなのは、男がいかんのだとマイクでがなる。女の子が帰ったら男が悪いと追求する。女尊男卑の世界だ。それでなくても草食系が多いといわれる世の中。男たちは委縮するばかりだ。でも、この司会者のパフォーマンスはおもしろいと思う。ゆるい気持ちで会を訪れている連中に締りをもたらす。中にはマジで明日なき戦いを強いられている人もいるのだ。そういう人に失礼があっちゃいけない。結婚の是非は平等じゃないが、結婚のチャンスは平等であるべきなのだ。

3時間のうち、最初の一時間は席を動き回ってとにかくコミュニケーション。次の一時間はなんとなく席が定まってグループコミュニケーション。最後の一時間はワントゥーワンのコミュニケーション、みたいな感じだ。それぞれの時間のムーブメントについていかないと、最後はひとりぼっちか、同性会話に陥る。それはそれでいいじゃないと、同性で会話していると、アジテーターの司会者が檄をとばしてくる。「ソコ! なにしてる!」。そうなのだ。この会は「婚活」。親睦ではない。目的が決まっている以上、他の事は他の事でしかないのだ。

個人的には、動き回る→グループ→ワントゥーワンというその一連の流れに乗っていた。
私は34で、結構年配の部類になっちゃうのかなと思っていたが、案外そうではなかった。ちょうど平均くらいだったと思う。全体的に思ったのが、みんな子どもだな。一回結婚しているだけに、そういう風に見えた。

概してみんなコミュニケーションがおかしい。下手とかオク手とかだったらわかる。そういう人は世の中にたくさんいるし、100歩譲ってまだかわいい。問題はそうじゃない人で、かえってコミュニケーションが過剰あるいは偏向な人が結構いた。やたら自分のことばかりしゃべるだとか、のっけから相手の事を尋ねまくるだとか。会話を流れとしてつくることができない人が多い。だから、ある瞬間に会話がブッツリ途絶える。で、場が散る。とくに男に多い。こういうのは傍目から見てて非常に見苦しい。

会話も、趣味でずっと続けている小説もそうなのだが、コミュニケーションには緩急がいると思う。大事なところを強く、流すところは流す。関心をうながしたいところは少し濁す、聞くときは相槌する、など。そんなのは演出がかったイヤなしゃべり方だと思う人は、大きな間違い。そうでなければ、相手に伝わらない。伝わらないやり方で自分勝手にしゃべりまくるのは、相手の時間を泥棒しているのと同じだ。

携帯電話の電波のように無尽に飛び交うコミュニケーションの中で、覚えているのは二つ。

1)ストリート系みたいな恰好をしたとびきり明るいお兄さんがいた。この人とはトイレ待ちの時一緒になったのだが、仕事を聞くと「お坊さんだYO!」とほんとにラップみたいに踊りながら言った。私が先日禅坊主と問答になったことを言ったら小さくなってしまった。やけにトイレが長く、えらく待たされた。

2)最後の30分くらい、私はずっとひとりの女性と隣り合ってしゃべっていた。ふつうに世間話をしていたら、抽選会みたいのが始まって、彼女は何かが当たって司会者のところに景品を取りに行った。私はひとりでその様子を見ていた。そしたら別の男性が私のところによってきて「あのヒトどうですか?」と耳打ちしてきた。軽く「ああ、いい人だと思うよ」と答えると、男性「あなたが特に思うところがなければ、彼女とアドレスを交換していいですか」と。私は「構わんよ」と言ったが、内心「なんと律儀な。これは紳士だな」と甚く感心した。
女性が私の隣に帰ってきて、3分もしないうちに散会となった。彼女はその日会場に集まっていた女性の中ではたぶん5本の指に入る器量だったので、アドレスを聞きに来る男性が何人もいた。私はその様子を横で見ていた。新たな律儀な紳士は現れなかった。彼女はアドレス交換作業を終わらせたあともしばらく居たが、そのうちに「じゃ、帰りますね」と言って去っていった。それで私も帰った。私も律儀にはなれなかったな。

<総括>

正直、自分にはまだはやいと思った。
故人を思うからとかではなく(それもおかしなことだが)、自分がさびしいからに過ぎないような気がする。

共同生活をしなくてはならないという機能的動機、自分にとってなくてはならない存在であるという相手に求める動機。これらが一致した時、その人とその結婚が出来る。
(結婚の条件あるいは黒い猫)


ほんと、そうだよ。10年ばかり前の自分のほうがよくわかっている。

でも、おもしろかったのでまた行ってもいいかな。人間観察の場としてこんなに面白いものはない。みんな露骨だからな。

2012/01/07

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(5)

■むくみ

癌性腹膜炎になると、腹水がたまる。
癌細胞が水のようなものを吐きだす。それが溜まる。
腹水がたまるだけでなく、排尿困難から下半身から背中の肩甲骨のあたりにかけてひどくむくむ。
さらに、そのむくみは一晩の姿勢によって変化する。
ずっと尻を下にしていれば、足や背中がむくむ。それが嫌で横になったりすると横になったところからはむくみが抜けて、尻がむくむ。
体の中の水分が移動するみたいだ。

むくむと寝台の上での姿勢のつくりかたが厄介。
なぜなら患者は動きたがるから。誰だって、一日中同じ姿勢でいたらたまらなくなるものだ。
しかし動くと後から壮絶な痛みを発する。
見守る人間としては痛がるのを見たくないから動くなと言いたくなる。
だが、患者本人はそのリスクを犯してでも動こうとする。
癌緩和マニュアルによると、膵臓がんの場合、座っていることの方が楽であるらしい。
また、肝臓がんの場合、右肩が異常に凝るらしい。
愁訴の内容から何が痛いのか、どこから来ているのかを想定して、できるだけ動かしてやるのがよいだろう。
むくみは動くことによって若干緩和される。
もちろん利尿剤も必要である。血圧の上が100を切ると使えないが。

腹水は抜くと一気に消耗する。成分は血漿と同じなので。
癌も身体の一部である。しかも患者の好むと好まざるにかかわらず、身体が受け入れたものである。
だから血管をつくったりまでする。そうして患者の補給したエネルギーをあたかも自分のもののように取り入れる。
そうして癌自体が大きく成長してゆく。
腹水抜きは最後の手段ととらえるべきだ。

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(4)

■いたみどめ

癌は痛い。
痛い部位は癌によって違う。どう痛いのかも違う。
いえることは、癌が臓器を圧迫して、或いは臓器に喰らいついて痛いわけで、癌をとらないと痛みはなくならない。
その痛みも、臓器の損傷で痛いのか、臓器が損傷した結果おこる臓器不全のため痛いのか。さまざまだ。
どの道痛いのだから、癌を取れないなら痛み止めをつかうしかない。

<最初>
ロピオン+フェンタニル+アタラックス
総じてショット。痛みを止めて、眠らせようというやつ。フェンタニルのシールも使う。
痛みによって適宜増量。

<2>
フェンタニル持続点滴
最初のやり方でフェンタニルが効かなくなったら持続点滴。痛みがきたらフラッシュ。

<3>
モルヒネ持続点滴
フェンタニルが効かなくなったらモルヒネに。痛みがきたらフラッシュ。
モルヒネはフェンタニルと違い、即効性が無い。しかし定期的な使用はモルヒネ耐性をはやめるので不可。
モルヒネには副作用がある。吐き気など。これらは普通2週間くらいでなくなる。
あまりにもきついときはH2ブロッカーで吐き気を制御。
しかしこれをいれると保険の問題で病院食がでなくなる。
味覚障害など顕著に。

<4>
モルヒネ持続点滴+ミタゾラム
ミタゾラムは麻酔前の麻酔のようなもの。安定剤であり、眠ってしまう。すぐに効く。
この段階までくると、モルヒネによる意識レベル低下が著しいが、意識がなくても痛みはあるので、モルヒネは必要。
ミタゾラムは呼吸抑制があるので血圧・酸素量をしっかり見てから。

<最後>
モルヒネ・ミタゾラム持続点滴
ここまできたらほとんど意識レベルは無い。
血圧・酸素ともに下がる。嚥下がうまくいかず、痰がたまる。
呼吸抑制のあるミタゾラムと痰のからみによって、息が苦しくなる。
酸素が減る。血圧がさがる。脈が下がる、ということになる。